Fashion&MusicBook ケンシロウのこと


今夜は、亡くなったケンシロウのことを話してくれた。
剛さんは思ったよりずっと普通のトーンで、淡々と話す様子はこちらが少し驚くほどだった。話の中にも出てくるけど、剛さんはケンシロウの存在を今も傍らに感じながら生きているんだろう。


< ケンシロウが4月の11日に天に昇った。
「TU」のアルバムにケンシロウもワンショット入ってる。もうあと(余命)1ヶ月かないとか言われている中、レコーディングに行って帰って来て病院連れてって、とかしながらこのアルバムを作った。
今回ジャケットにも使ってるから、ケンシロウにクリスタルの首輪を付けてあげた。これ(※その時身に着けていた様子)ケンシロウが使ってたやつをまたリペアーして使ってる。一緒に写真撮っといてよかったなーというかんじ。

アルバムにある「Heart Disc」っていう曲は、本来僕がおじいちゃんになった時にこんなこと思ってんのかなー、みたいなかんじで作った。途中で「きみを愛してるってことは、灰になってもそれは消えたりしない」、っていう歌詩を足したら、後でそれがケンシロウに歌ってるとか、ケンシロウが僕に言ってるとか、なんだか変な感覚になってしまった。そんなつもりで書いた曲じゃないんだけど。でもそういう風に聞こえちゃう、歌っててもそんな気持ちになっちゃう、みたいな。不思議。


12日に火葬、自分でお花をアレンジして、夕方3時33分に点火というかんじで。
その夜、リビングで寝てたらフローリングがカチャカチャいう音がして、あれっと思ったら透明のケンシロウがいて。「おいで」って言ったら来て、だっこしたら温もりもあって、ぺろぺろぺろってキスされて。テレパシーで「あんまり長くはいられない」って言われたんで、「じゃあ、一緒にいられるだけいよう」ってなでてたら、けっこう早い段階でスッと消えてしまった。今日も玄関のセンサーのライトがパチンと付いた。そういう日がそこそこあって面白い。
ケンシロウは物体・物質としてはいなくなっちゃったけど、いるのかなっていう感覚がある、とてもとても不思議な時間を過ごしてる、今。歌詞の中で、生きるとか死ぬとか命のこととか愛についてとか書いているけど、本当に説明しにくいものもあるなあ、って気がする。そんなの夢を見たんだろう、と言われても、実際その時間を過ごしたって感覚があるから。


ファンの方々も皆心配してくださって、皆さんの愛情でケンシロウもそれに応えようとして頑張って頑張って長生きしてくれたんだと思う。17年と5か月と10日という命を全うしたケンシロウに代わって、皆さんにどうもありがとうございました、という気持ちをお伝えしたい。
時間はかかるかもしれないけど、ケンシロウが何かの折にご挨拶に行くと思います。その時は「よう来たな!」って迎え入れてあげてもらえたら嬉しい。>



約2年半前に愛犬を亡くした時、私にも同じようなことが起きた。姿は見えなかったけれど、カチャカチャと彼がフローリングを歩く音や、チャリチャリと首輪の金具の鳴る音を何度も聞き、時に鼻先にふわりと彼の体臭を感じたりした。こういうことは多分誰の身にも起こりうることなんだろう。
でもある時からフっと気配が消えた。それでも私は彼が生きていた頃のように、ついトイレのドアを少し開けたまま入ったり(よく閉めたドアをカリカリ引っ掻いて開けろと言ったので)、食いしん坊の彼が気づかないよう冷蔵庫をそーーっと開けたり、なんてことを延々とし続けた。13年の間に沁みついた癖はなかなか抜けなかった。


やっと夢に現れてくれたのは、彼の死から半年くらい経った頃。「心配したけど、まあなんとか大丈夫だろ」、と思われたのか、その夢の中でまた彼を胸に抱くことができた。
よく人は亡くしたものに「夢でもいいから会いたい」というけれど、そのものへの想いが強ければ強いほど、彼らは夢に現れないそうな。それは、悲しみが癒えぬうちに夢に現れてしまうことで、残されたものが悲しみから逃れられなくなることや、後を追うようなことを望まないからだという。


「TU」の中に「天命さん」という曲がクレジットされているが、ケンシロウはまさに天命を全うしたんだろう。剛さんの一番大変な時期に彼の元に現れ、もう大丈夫というところまで、天から与えられた役目を果たし終え、満足してまた天に還った。それを剛さん自身も感じているから、こうも穏やかに今いられるのでは、と思う。


「水晶が音を記憶する、ってあると思う」と剛さんが言っていた。もしそうならば、剛さんが今ケンシロウから譲り受けた水晶は生前のケンシロウの波動を永遠にその中に留め、剛さんに力を与え続けることだろう。


ケンシロウ、お疲れ様でした。安らかに。