「プラトニック」#5 酔っちゃったんだけど


なんでキスすんのに四つん這いなんだよとか、あの地味で個性のないダイニングルームからは想像もできないような、沙良のゴテっとしたベッドルームのインテリアにツッコミ入れつつ、ああ、なんと美しい「大人なシーン」だったのでしょう。


混乱する先週の私の肩をそっと抱いてあげたいような、するするといろんな謎が解けて行ったこの第5話。


一見達観していたように見えた青年が抱えていた死への恐怖が、テツさんの死によって突然蘇る。「誰かいないのか・・この世界には・・」。救世主である彼こそが一番彼自身を救ってくれる「誰か」を求めていた。
青年は沙莉に尋ねる。「君は死ぬのが怖くないの?それをどうやって克服したの?自分が突然いなくなるんだ。存在が消されるんだ。怖くないのかい?淋しくはないのかい?お願いだ。僕を救えるのは・・」
きょとんとする沙莉に彼は悟り落胆する。彼女と自分が「本質的」に違うことに。


ここに大きなテーマがやっと顔を出した。野島さんが最初に投げかけた問い。
<生きる、とはなんですか?愛することで意味を持ちますか?
死とはなんですか?愛されることで救われますか?>


沙良の方には、子供の頃両親が離婚。弟とは離れ離れになるが、どちらの親も再婚をしたことから、家を出て弟を引き取り二人でまた暮らし始めたという過去があった。
そして青年を探す探偵が現れたことで、彼の過去も明らかになる。
多分彼を探しているのは青年の双子の弟。「自然と人に愛される人間」の弟にコンプレックスを感じ続け、「自分は必要な人間ではないのでは」と、自分の生を一度も肯定できなかった兄。
どちらも自分を丸ごと肯定してくれる存在を得ることのないまま生きてきてしまった。沙良は人にも自分にも興味を持つことなく、青年は合理的にいろんなことを割り切りながら。


沙莉が死の傍らで生きながら恐怖を感じていないのは、周りの人たちの愛情の中で育ったからだろう。だが青年は、自分が死んでも誰にも惜しまれない、誰にも悲しまれない、誰も自分を思い出してくれない、と思って絶望している。その空虚な「犬死に」から自分を救ってくれるカタルシスとなる「救世主」という仕事も、本当の意味で彼の「救い」にはならなかった。「誰かいないのか、誰か僕を救ってくれる人はいないのか・・」。


そんな沙良と青年が少しずつ自分のことを話してゆくうちに、惹かれ合うのは自然のなりゆきだった。やっと見つけた、同じ孤独な魂を持った自分の片割れ。傍にいるだけで互いの心が開かれてゆく。


医師から、青年への気持ちは恋だと言われ初めてそれに気づく沙良は、ある夜青年にそれを告げる。「初めて会った時からあなたに恋をしていたと思う」
「あなたの声が聞こえたの、あなたの心の声が。誰かいないの?、って。この世界に自分の他に誰か。そして私も部屋の扉を初めて開いたの。だって、声なんて聞こえたことなかったから」
驚いたように沙良を見詰める青年の目に涙が溢れる。求め続けたものはここにあった。絞り出すような声で彼が応える。
「・・あなただったんだ・・」「近くに行ってもいいですか?」


そっと、お互いの存在を確かめるような、そして自分が生きていることを確認するようなキス。ベッドで微笑み合う二人。青年の初めて見せる屈託のない笑顔。お互いにまだそれが信じられないかのように、そっと指を絡め、肌を感じ合う。
こんなに「欲」をまったく感じさせないラブシーンがあるだろうか。そこに共に在ること、生きていることへの感謝だけが二人を子供のように微笑ませている。二人だけの閉ざされた世界で。


予告編を観るとまだまだいろいろありそうなあと3話。
野島さんは、このドラマのあちこちにいろんなイメージやメッセージを隠しているようだ。それがある種の謎解きのようになって、エンディングへの想像を掻きたてる。毎回毎回、手練れの脚本家の技に酔いしれ、剛さんの渾身の演技に震える、なんとも贅沢なドラマなのだ。ふう。


※あの四つん這いキスはあのアングルが欲しかったのかな。ツインソウルの出逢い=鏡合わせ的なイメージの。それに、あそこでがしっと抱き合うのはウソくさい。やはり恐る恐る、でなくてはならなかったんだろう。と、とりあえず文頭の自分にツッコんどきます。


※それから沙良のベッドルーム、というか家全体は、まあさおばさんが住んでいた時のまま使っているのね、きっと。よく見ると老人の家っぽい置物とかが飾ってある。沙良はそのくらい何事にも興味がなかった、ということか。