「プラトニック」#8 さよなら、青年


最悪の幕切れ。やはりあのまま青年は自ら死を選んだ。考えうる限り皮肉な運命。それに彼は逆らえなかった。


私にはこの物語は悲しいだけで美しいとは思えなかった。
青年は結局、自分が愛され、いつまでも沙良の心に残るにはそうするしかないと思ってしまった。生きていればいつか忘れられてしまう。ずっと永遠に沙良の心の中に留まるにはこれしかない、と。
だが、沙良は青年の回復を本気で願っていたように見える。和久の前で青年に離婚を告げた時の沙良はいつもの沙良とは違った。たとえ青年が自分の前からいなくなっても、彼が自分の人生の新たな一歩を踏み出そうとすることを願う。あえて強い女を演じてみせる沙良は、青年の言葉にはいつも笑顔で同調する沙良ではなく、これが本来の沙良と思えた。


沙良がひとり川べりで傘をさして立っているシーンがあった。倉田医師に青年がオペを受けない選択もあると言ったことを聞いたその後に、一瞬だけ挿まれるあのどこにもつながらないシーン。ハッとしたような表情の沙良。あれは彼女の覚醒を意味したのではなかったか。愛することを知った彼女は、小さな自己愛に満ちた世界からするりと抜けだし、青年を救おうとした。だが・・・。


思うに、この時青年に必要だったのは、「あえて冷たく突き放す愛」ではなく、「生きてくれ!」と抱きしめる暖かい胸ではなかったのか。あんなに喜んでくれた弟もすぐに兄の元にやって来はしなかった。誰もその愛を素直な行動で示してはくれなかった。佐伯もまあさおばさんも、そして沙良も。


だから彼はこうする他なかった。此岸と彼岸を結ぶ二人だけの夢の世界。そこで待てば沙良は必ずやってくる、と信じて。


青年の死を知って取り乱す沙良の前に、青年の心臓が病院に運び込まれる。絶叫する沙良。


そして、物語の最後に、コンビニの防犯カメラに残った青年の最期の姿が映し出される。無音のビデオの向こうで最後の力を振り絞った青年がカメラに向かって「笑って」のサインをする(この裏ピースで口角を上げるポーズは、古い映画「散り行く花」で不幸のあまり笑うことを忘れてしまった少女が笑顔を作ろうとするときのポーズ)。それを観て沙良が微笑む。


このシーンが一番恐ろしく悲しかった。自分を愛するがゆえに今まさに死んでゆこうとする青年を笑顔で観られる沙良が、私は正気だとは思えない。きっと二人の中ではまだ「NOと言わないゲーム」が続いているんだろう。青年が「笑って」と言うから沙良は微笑む。沙良の心は青年の待つ「二人だけの夢の世界」に行ってしまった。


まあさおばさんが、沙良は沙莉のことがなかったら、あのまま佐伯と自分を抑えてうまくやっていた、と言ったとおり、沙良は一度現実に向けて開いたドアをまた閉め、「永遠なんてない」世界で「今だけを見て」生きている。心の奥の秘密の恋人と共に。
「あなたが夢の中にいれば、私は目覚めない」。沙良はもう、目覚められない。二人は究極のプラトニック・ラブを手に入れたのだ。



冒頭で述べたとおり、私はこの物語が「美しい愛の物語」だと言うのに未だ抵抗がある。野島さんは、「この作品を持って「愛」や「生死」をテーマについて語るのは最後にしたい」と言ったそうなので、これは彼のキャリアの集大成であると同時に、自身のトラウマを究極の形で昇華した、彼の理想の美しい愛の姿なのだと思う。だがそれは、彼の理想の愛はこの世には存在し得ないのだという、皮肉な結論なのかもしれない。


しかし、またそこに野島さんがどうしてそう思うのか、という傷口が見えて来る。
今朝、偶然元陸上選手の為末大さんのこんなツィートを目にした。
「最終的に自分が幸せになるのを許さないのは自分の強固な価値観」
「たぶん幼少期の環境だと思うのですが、価値観を手放せないのは怖くて苦しいからだと思います」
彼は、現役引退後、スポーツ心理学という分野を勉強されていて、いつもとても興味深いトピックについて語っている。
NLP心理学というものがあるのだそうだ。それは「『神経言語プログラミング』の略で、幼少期などの経験によって作られた信念(思い込み)が、徐々に無意識に組み込まれ、その無意識が強力に作用して本人の行動を生み出すという研究、またはその思い込みを心理学的に改善していく取り組み」なのだそう。


7話の感想でも書いたが、やはりそこから離れずして野島ドラマは語れないと思う。「プラトニック」という悲劇を形作るのは「トラウマを背負った人々」の歪んだ・歪められた価値観なのだと思う。


大きなお世話ながら、野島さんがこのドラマで「愛や生死」を語るのをやめにしようと思ったのは、ご自身に家族ができたことが大きいのではないかと思った。子供ができた今、もう自分のトラウマに囚われている場合ではない。家族とは何か、子供にとっていい環境とは何か。そこで作られたのが「明日ママ」だとしたら、それは今の日本に於いては未だラディカルであるけれどもポジティヴなサインのように思う。


「プラトニック」については、また思いついたことを書いて行きたいと思うのだけど、W杯とこのへヴィーなドラマが重なったここ1か月、本気で心身が摩耗してしまって何やってんだオレ?な放心状態。まだいろいろ書きたいことはあるので、ぼちぼち行きます。でも、実は今このドラマをあまりリピートする気が起きなくて困っているんでありますが。


もちろん、演じる方はもっと辛かったと思われ、剛さんがこの夏思い切りFUNK詩謡夏私乱♡と思ったのはそのせいかもしれないな。わたくしもそこでこの野島トラウマをイッキに振り切りたいと切に思う次第。よろよろ。