番外編 サスペンスとしての「プラトニック」


「プラトニック」、終わって日が経って頭が冷えるとまた違う感慨がわいてくる。どんな結末であれ、彼らは彼らなりにお互いに誠実を尽くしたのだ。そう言ってあげなくてはいけないんだろうな、とか。トラウマを憎んで結末を憎まず。


それにしても、「プラトニック」はよく練られたお話だった。
剛さんが出るからと言って、何でもいいわけじゃないお年頃。うわーん、こんな悲しい話いやだああと思いながらついつい引き込まれたのは、このドラマがサスペンスとしても面白かったからだ。


このドラマには、もしかしたら青年は死なないんじゃないか、沙莉に心臓を提供するのは別の人間なんじゃないか、と思わせる伏線もどきが至る所に張り巡らされている。佐伯が美和のぼったくりバーで大暴れしたからヤクザに刺される、和久が美和に手を出したのがバレてチンピラに刺される、沙良が突然発病する(お寺の境内でめまい)ect..。私は思わず、ストーカーと化した臼井さんがオレのものにならないならと沙良にナイフを・・なんてことまで考えた。臼井さんごめん。


ファン目線の「青年死なないで!」が入るともう人を見る目が濁るだけ濁って、「死ぬのは誰だ?」的疑心暗鬼のサスペンスモードに陥る。しかも、登場人物が皆素直な感情表現ができない上、言いたいことを途中で呑み込むから、本音がわかりにくい。ごく普通のサスペンドラマや映画に慣らされている人ほど、登場人物のちょっとしたセリフや行動に注意を払って、ありもしないドツボにはまるようにできているのだ。
その辺も野島さんは全てお見通しだったろう。「だから”予言者”に結末を言わせたでしょ?」とせせら笑われそうなのだが、あれだって、
臼井「おまえの予言なんてやっぱ当たらなかったな!」
バイトくん「てへぺろ」
で済まそうとすれば済む。という伏線のキャスティングっぽい(笑)。


しかも、まさかこの後に及んでと思われた最終回に残るいくつかの謎。
・倉田医師はなぜ電話の向こうの青年が刺されたことがわかったのか。
・佐伯はなぜ倉田医師からの電話を受けて、沙良に「交通事故で亡くなった人の心臓」とウソをついたのか。
・そして、なぜタクシーの中で事件を伝えるラジオを消させたのか。
・青年はなぜ救急車を呼ばせた担当医の倉田の元でなく、別の病院に運ばれたのか。
・あの心臓は果たして本当に青年の心臓なのか。
佐伯は、倉田医師は、何かを隠している??
最後まで青年が「死んだ」という証拠がどこにも出て来ない。


と、ここでもまたキリストのイメージが現れる。
実は佐伯は青年に好意を抱いている顔をして、沙良と復縁するにはどうにも邪魔な青年を消そうとし、刺客を放った。キリストを裏切ったユダのように佐伯もまた青年を裏切ったのだ。沙良には悟られないよう別人の心臓だと偽って移殖手術を終え、青年は沙良を捨てて行方不明ということにすればいい。倉田医師を恫喝し口裏を合わせさせる。


が、ゴルゴタの丘で磔刑になったのは、実はキリストではなく身代わりになった彼の双子の弟だった、という説がある。キリストは彼を守る人々の手で逃がされ生き延びたのだ。
このドラマで言うなら、それができたのは倉田医師。彼は青年に医師としても人間としても生きて欲しいと願っていたから、佐伯を裏切り青年を生かそうとする。実はあの心臓は本当に交通事故で亡くなった人のもので、刺された青年は治療を受け別の場所に隠されたとしたら。


濁った目にはこんないらんものが見えて来る。怖い。
レオナルド・ダ・ヴィンチは言った。「人が一番惑わされやすいのは、自分自身の考えによってだ」。はい、そのとおりです。


こんな風に青年生存説なんていうファンタジーを膨らます材料までしっかりと残してくれる野島さん、次回があるならゼヒ剛さんが死なないドラマをどうかひとつ。