新曲に思うこと


やっぱり何度聴いても「穏やかな佳曲」、という印象の「変わったかたちの石」。
地味なことは悪いことではない。淡い陽の下だからより美しく見えるものもあるし、疲れた心をそっと包む温もりもかんじられる。詩の「長いものに巻かれることなく少年の心を持ち続けたい」という男性の心情は30代になった彼らが歌うのには申し分のない、まさに等身大のものだ。アルバム曲かカップリングなら絶賛しただろう。


でも、何故これがシングルなのか、というところで考えがいつもストップしてしまう。
昔はTV各局が歌謡番組を持ち、バラエティー番組にもゲストの歌のコーナーがあった。だから歌手は、新曲を出すまで何ヶ月も同じ歌をずっと歌い続けることができたし、聴き手もTVから流れる曲を何度となく聴くことができ、「噛めば噛むほど聴けば聴くほど」のスルメ型楽曲が長い時間をかけてヒットすることも多かった。


だが、今は違う。有線やラジオはヘビーローテーションになるんだろうが、一番購買に影響力があるであろうTVでは、リリース前後に数回歌われるだけ。「ベストテン」のようなチャート番組もなく、○○大賞が残っていても完全に形骸化している今、「オリコンチャート初登場1位」という売上げ枚数が表面的な人気の尺度になっている。そんな短期決戦型のインパクト勝負になっているJ-POPチャートに、この完全にスルメ型の新曲で挑むKinKi Kids。その戦略やいかに?


先日の日経エンタの対談で秋元さんは、「誰でも口ずさめる」「意図しない場所で流れても力を持つ」のが彼の目指すところのJ-POPだと言った。それには「売れ線のサビ」や「わかりやすいメロディー」の、はっきりとした輪郭の曲が求められる。そしてKinKi KidsにはそんなJ-POPの持つ虚構の世界をリアルに表現できる力があることが強味だと彼は褒めた。でも今回彼の書いたこの曲はどうも様子が違う。
そして、今年いろんなところで言われた「生きていることの幸せ」。そのメッセージを伝えるのにもこの曲は、例えばK albumの「いのちの最後のひとしずく」や「ヒマラヤ・ブルー」などと比べて訴える力が強いとは決して言えない。
しかも、リリース時期コーイチくんは舞台の真っ最中。毎度のことながら記録がかかっているにもかかわらず、プロモーションが充分にできない可能性もある。となると、ますますファンは首をひねってしまうのだ。一体何故今、この曲なんだ??


私がなんとか導き出した答えは、これは「間奏曲」なのではなかろうか、ということ。KinKiの「K」を冠したK albumのリリース、そして15周年というキリのいいKinKi Kidsが、ここからまた新たな展開を見せるという意思表明。はっきり言うと、これからは「記録」を追うより、自分たちのやりたい曲を出したい時期に出す、という新たな始まりを予感させるための曲であり、タイミングなのではないか。


もちろん、これは私の勝手な想像なので、また1位を獲り記録を伸ばせたら「よかったね」と思う。でも、記録というものはいつか破られる時が来る。それが、このタイミングなのはそんなに悪くない、と思うのだ。