「いのちのうた」 Family〜ひとつになること


KinKi Kidsが総合司会を務める「いのちのうた」が放送になった。


NHKの特設サイトにはこんな風に書かれていた。
≪ 一発の原子爆弾が「広島」そして「長崎」を一瞬にして廃墟に変えた。今なお世界中で、テロ、戦争、自然災害といった惨禍が繰り返されている。「ごく当たり前の平和な日常は永遠のものでなく、もろく、はかなく消え去ってしまうものである−」 ≫
≪ 戦争の記憶が薄れてゆく今。改めて「いのち」の意味が問われている今。70年前の惨状から復興を成し遂げた被爆地ヒロシマ・ナガサキから「歌の力」で平和へのメッセージを発信し、ひとりでも多くの人に「平和な未来について考えるきっかけ」を届ける番組 ≫


そんな番組にKinKi Kidsが推されたことはとにかく嬉しいし、「フラワー」や「Family〜ひとつになること」などの楽曲を知っているスタッフさんによってKinKi Kidsが選ばれたのならなお嬉しい。普段チャンスの少ない平和について静かに考える時間を持つための番組。そこに彼らの真摯な姿はとてもよく似合った。


昨今、世の中がざわついている。
安倍政権による「憲法第9条改正」の動きを追っていると、この番組のサイトにあった「ごく当たり前の平和な日常は永遠のものでなく、もろく、はかなく消え去ってしまうものである」という言葉がとてもリアルに響いてくる。
その他にも問題は山積みだ。原発問題、基地問題、TPP、高い失業率などの政治・経済問題、そこに加えて増加する自然災害も人間のしてきた自然破壊に起因するものも多いと考えるとき、日本に於ける70年の平和がどんな危ういバランスの上に成り立っていたのかと呆然とする。


そんな時に「Family〜ひとつになること」を聴いて、このわかりにくかった曲がわかったような気がした。


最初にこのタイトルを見た時はジョン・レノンの「イマジン」のようなものかと思った。「国も宗教もなくなって世界がひとつになればいい」、というユートピア。
でも、現実にはどの民族もそれぞれの文化を生きてきたから、EUのようにひとつの価値観で括ろうとすると反発し合う。移民へも差別や排斥運動が起きる。
「違うものをひとつにする必要ってあるのか?」
それは「イマジン」という曲が平和をうたうフェスなどで定番のように歌われるたびに、私が昔から抱いてた違和感だった。あの曲は素晴らしいと思うし、それはそれで「夢」であるには違いないが、21世紀の現実的な理想の姿だろうか。


剛さんの「ひとつになる」は、それと違って、バラバラになった元々「ひとつ」だったものをまた再生しよう、という意味なんだと思う。
戦後の瓦礫の中から蘇った日本。皆がひとつになり今日の繁栄を築いた。しかし、その陰で壊れたものも多くあった。自然は破壊され、人は利己的になり、家族の絆も失われていった。
そして奇しくも「Family〜ひとつになること」が発売された3ヶ月後に東日本大震災が起き、多くの人たちの人生が引き裂かれることになる。その時、まるで震災を予知していたかのようなこの曲の大サビの歌詞が話題になった。でも、実はそこに描かれていたのは静かに凪ぐ、すでに再生された「希望の海」だった。


アーティストはよく「炭鉱のカナリア」にたとえられる。カナリアは敏感で炭鉱の中で有毒ガスが発生したのに一番最初に反応する。アーティストもまた、世の中の流れを敏感に感じとり、次に必要なメッセージを送り出していく。
この曲は剛さんが「今出さなくては」と言って、急遽リリースが決まったものだと聞いた。彼もまた何かを感じたんだろう。歌われたのが「失われた海」ではなく、そこからすでに再生された「希望の海」だったことで、震災後この曲を聴いた人がどれだけ救われたことか。一番不安な時に、また「ひとつ」に戻るその時のビジョンを人と共有できることの心強さ。そして感謝。


そしてこの曲を聴くと、戦争反対を叫ぶ若い人たちの姿が浮かぶ。自分の意見を行動にすること、人と繋がることは怖くないし恥ずかしいことでもない。最初は唐突に思えたフレーズが、驚くほど今の日本を再生しようとする、この状況にマッチする。


ライトアップされ白く浮かぶ原爆ドームを見据えて、剛さんがその大サビのラストを歌う。何が起きても、また僕たちはひとつになる、と力強く言霊を空へ放つ。