FNS歌謡祭 2011


FNS歌謡祭。
ゴージャスなホテルとは言え、所詮ただの宴会場。「飛天の間」の音響に期待などしないけれど、そこにあんだけのオーケストラ置いて、より一層ゴージャス感を演出したいなら、もう少しPAに気を配らないとイカンでしょう。音のバランスが悪すぎる。毎度のこととは言え、去年より今年の方が悪いってどーゆーこと?
きょうびご家庭のオーディオ機器が一昔前と比べて格段によくなってることを考えたら、そろそろフジテレビさんも会場を変えるなり、生放送にこだわる根本的な演出を再考する時期に来てるんじゃないでしょうか。


そんなFNSでいつもナーバスな剛っさん、今年の矢井田瞳とのコラボでは、やや挙動不審なほどキョロキョロと視点が定まらず、声も出てなかったし、集中力を欠いていた。彼女が歌えているのを見てやっと安心できたのか、声が出始めたようにも見えた。
毎年イヤモニをむしり取ってみたり、またつけてみたり、音響に不満があるのは明らか。後半の「いのちの最後のひとしずく」では、歌っている最中にも腰に手を当てて「憤り」のポーズ。声もいまひとつ伸びが悪い。
だが、彼ともあろう者が多少の音響の悪さのせいで歌えないようなことはありえない。多分あれは潔癖症の発作のようなものだ。我が家にも約一名同じような完璧主義な性分の男がいるのでわかるような気がするのだけど、ああいうのって本人にもどうにもコントロールできない弱点のようなもの。あるべきものがあるべき場所にない、聴こえるべき音が聴こえない、自分の求める完璧なクオリティーに届かない、その不快感、不安感が、時に彼を小さなパニックに陥れる。


思えば、ここらが先日の日経エンタの対談で秋元さんが言っていた、J-POP=歌謡曲とは「僕らの意図しない場所で流れても力を持っていなきゃいけない。それがいい曲なんだ」ということか。これは言い換えれば「どんな場所でも歌えないといけない。それがいい歌手」ということでもある。
ただこれは秋元さんの持論であり、達郎さんのような「サウンド」を追求するタイプになると「俺の曲はカラオケでは歌って欲しくない」となる。今の剛っさんは間違いなく達郎さんタイプの音づくりを追求する職人でもあり、そこらへんが毎年の彼の潔癖症@FNSに影響しているように思う。
でも彼はドームなどの音響のよくない環境には慣れているはず。となると、問題はFNSの音響スタッフに対する不信感か、とつい思ってしまう。


フジテレビがこのまま今のイメージを貫きたいなら、今回これほど視聴者に音響の悪さを感じさせた原因を深く考えるべきだ。歌手が気持ちよく歌えない歌番組など、誰が楽しんで観るだろうか。
しかし、もし「これでいいのだ」と開き直るのなら、会場が宴会場である以上、出場者もコラボは”カラオケでデュエット”と割り切り、パーッといきましょ、でいいんじゃないかと思う。KinKiは本格派というイメージがあるから、あえて生オケで歌い上げる曲が多いけど、来年はバックもつけてカラオケで踊る曲持ってったらいいのだ(V6かっこよかったー)。コラボは松平健とマツケンマハラジャとかね。うっ、めっちゃ見たいかも。
今のサウンドがおざなりになっているFNS歌謡祭とは、その名のとおり「歌謡曲」の祭典なのだ。Take it easyです、剛っさん。