堂本剛と善財童子


奈良の仏像写真集を眺めていたら、西大寺の文殊菩薩騎獅像が出ていた。
う〜ん、なんて美しいの。美しい仏像は数あれど、この文殊菩薩さまの両性具有の美しさは特筆に値するものではなかろーか。そしてその眷族である善財童子。この西大寺の善財童子は灰谷健次郎の「兎の眼」の中にも出てくる有名人なのだそうだが、この彼がまた剛っさんソックリで異常に愛くるしい。うるうると文殊菩薩さまに教えを乞う無垢な瞳、どこか愛嬌のある面立ち、そのやわらかな肩の線などなど。


善財童子は華厳宗の経典の「入法界品」という章に出てくるキャラクター。
ある時仏教を修めたいと思い立った彼は、訪ねた文殊菩薩の勧めに従い、53人の善知識と呼ばれる人々に会う巡礼の旅に出る。そこから様々な学びを得、最後に普賢菩薩のもとで悟りを開く。
ふーん、それで文殊菩薩や普賢菩薩とセットになっているのか。
しかしどっかで聞いた話だなーと思い記憶の糸をたぐると、仏道の修行者のこの話、「勉強して立派な人になるべし」的啓蒙児童文学にアレンジされた中国の昔話として、私も幼い頃読んだことがあった。


調べてみると、それもそのはず、華厳宗の重鎮、明恵(みょうえ)上人は、鎌倉時代に幕府が制定した「貞永式目(=御成敗式目)」に大きな思想的影響を与えた人。
その思想は、後に明治憲法が制定されるまで何百年も日本人の生き方を律する「倫理・道徳」の教科書であった。当然その後の日本人も長くその影響下にあったのだろう。思えば、私が剛っさんの背後に年寄りの宗教観、倫理観などの影響を感じたのも、そのためだったのだ。


その華厳宗の思想をいくつか挙げると、『全体とは、孤立した部分部分のトータルではなく、ひとつひとつが独自な存在であると同時に、そこに全宇宙を既に含んでいる』、『命は無限の過去からずっと繋がってきた命であり、その過去・現在・未来の一切を含んでここにある』、『この世界は個別具体的な事物が、相互に関係しあい無限に重なりあっている』など、剛っさんが繰り返し語るその「ご説法」そのまんま。
お坊さんのお友達の多い剛っさんだから、彼らからいろいろお話も聞いたりしながら、今も善財童子のごとく学びの旅を続けているのだろう。
ちなみに彼が頭の上に乗せてもらったこともあるという東大寺の大仏様が華厳宗のご本尊「盧舎那仏像」であります。


ついでに。
仏像のことをググっていたら、こんな本も引っかかった。「見仏記」みうらじゅん・いとうせいこう著。・・・知ってましたけどね。彼らの活動のことは。でもまさかこの本を「うっ、読みたいっ」と思う日が来るとは思いませんでした、正直な話。番組のサイトにあった「Web限定アニバーサリートーク」なるものの前編「思い出の仏像」。ここで彼らが紹介するのが、実は私の今一番興味をそそられる分野「神仏習合」。
天河の弁財天のお姿を見て以来、その実に日本的なおおらかさというか、いい加減さというか、仏教と土着の信仰を合体させてしまうという、パンクでアナーキーなアート性を見せる「習合」というアイディアに、私はどうにもシビレてしまっている。
でもここで紹介される習合物件は、その中でも特にエクストリームなものなので誤解の無きよう。
http://www.ktv.jp/kenbutsu/index.html