「ココロ見」シリーズ化希望します


やっと「ココロ見」を観る。
今回は前回に比べてかなりラフな印象。とても深い話をしているのだけど、剛っさんのリラックスした様子を見ていると、「正直しんどい」の延長戦みたいだった。
彼の虫とたわむれる柔らかな声。高木住職の滝行を見守る真摯な目。仏像を彫る東さんに向ける屈託のない笑顔。観ているこちらも、すっかり熊野の旅のお供をしているような気になってきて、滝の飛沫や杉の樹の深い緑の香りを感じたような気になる。


特に豊かな水の育んだ山で生きる、東さんとの対話は楽しかった。
木こりをして沢山の樹の命を絶ったから、樹に対して恩返しのつもりで、と仏像を彫る81歳の東さん。プロの彫刻家ではない彼が「なかなか思うようにはいかへんのや」と言う仏さまの素朴な可愛らしい笑顔。彫った人の人柄が出る。窓の外を流れる川の青の美しさに、水が人をつくるんだなあ、としみじみ思う。
剛っさんはおじいちゃん子だったからか、お年寄りと話すのがうまい。聞き上手だし、合いの手を入れるタイミングが絶妙。若い頃ヤンチャだった東さんの話にウケまくる一行。静かな山に笑い声が響く。


去年の吉野、今年の熊野とどちらも修験道の修行の地だ。エンディングに流れたナレーションにもあったが、「黄泉(よみ)の国、そこに行けば人の心は蘇る」。その昔、熊野は「魂のふるさと」で、吉野から熊野へ繋がる道は「黄泉の国への道」と言われ、それを往復するということは一度死んで生まれ変わるということを意味した。
当時の修験道の行者というのはなにかしらの事情を持った人々が多く、彼らは自己の魂の再生をかけて山に入ったのだ。


今でも「水に流す」「禊(みそぎ=水で身体を清めること)」と言う言葉が普通に使われているように、たとえ過ちを犯しても、それは水が洗い清めてくれる。
カトリック教徒が罪を犯しても、教会に行き懺悔をすればチャラになるのと同じように、実は日本の文化の根っこのところにも、過ちを犯したら神社へ行ってお祓いを受ければよいという、同じ「許し」のシステムがあったのだ。そうすれば神様が「過ち」を川へ流してくれるから、明日からまた新たな人生をやり直せる。日本人はそうやっていつも「心のリセット」をしてきた。
「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉もある。大自然の様々なものに宿る八百万の神は、「とりかえしのつかない失敗なんてない。生まれ変わったつもりでまたやってごらん」と私たちに語りかける。


「環境を作らないとモノゴトは入ってこない」、剛っさんの言葉。私たちは昔こんなに優しく包容力のある「環境」を持っていたのに、すっかりそれを忘れてしまった。今は傷ついた魂を休める場所を見失った時代なのだ。だから、「思い出そう」と剛悟空が言う。


「ココロ見」、あのナレーションからすると、どうやらシリーズ化されそうな気配。NHK、すごい勢いでジャニーズを取り込んでる(笑)。でも、楽しんで学んだことは忘れないし、彼らの発信したことから若い人たちが何かを発見したり、新しいことを始めたりするきっかけになったらいいな、と思う。
31日の22:00から再放送がありますが、「トライアル番組なので、感想をどんどんつぶやいて下さい」と番組スタッフのTwitterがあったとのこと。Twitterしてないおばはんは今日のタイトルで地味に希望をつぶやいてみました。拾ってーっ(笑)


ところで、近鉄吉野駅の発車ブザー音を「ソメイヨシノ」のメロディーにと尽力されている奈良・海龍王寺の住職さんが、25日ローカルラジオに出演されたのを以下で観られます。剛っさんの話題も出る中、「彼に平城宮跡でライブをしてもらいたい」と熱い想いも語っていらっしゃいます。http://www.ustream.tv/recorded/16863890(剛っさんの話題は9分頃から)
うーん、実現してほしい!