KinKi Kids 15周年おめでとう!


さて、今日21日は、KinKi KidsCDデビュー15周年のAnniversary。
まだ日本から送ってもらったKコンDVDは着かないので、とりあえずKアルについていた「シングル全31曲のMusic Clip」をリピりながら感慨に耽ってみる。
とは言え私は新参者。ツィッターに踊る彼らへのお祝いの言葉を眺めては、デビューの頃からずっと彼らを見守ってきたファンの方々の胸中はいかほどかと思っては、もらい泣き。


ここしばらく「ソロアーティスト堂本剛」の活動を追ってきた後、急に「KinKiの剛くん」を観るとさぞ違和感が、と思いつつClip集を観たが、なんだろうこの異常な「Home感」。見るからに辛そうなある時期の姿などより、奈良のShipでの彼の方が遥かにリラックスして楽しそうに見えたのに、なぜか「KinKiの剛くん」にホッと肩の力が抜ける「ひとりじゃない」この感じ。そこに、彼のアーティストとしてのキャリアが始まったところ、という一言では片付けられない「KinKi Kidsの15年」という歴史があり、そしてその15年に伴走するソロ活動の10年がある。


最初は多分「自分探し」だったんだと思う。なんで僕はこんなに苦しいんだろう。「KinKiの剛くん」て誰なんだろう。本当の自分はどこにあるんだろう。という自問の答えを探すべく、「ソロ活動」という選択肢を自分に与えてみる。与えられるものを歌うだけでなく、歌いたいと思うことを歌いたい。心の中から湧き出る詩に、メロディーに、自分というものはあるはずだ。自分らしく歌うことで苦しみから逃れたい。歌うことを楽しみたい。


私は基本的にKinKi Kidsのソロ活動はエゴの昇華のためと思っている。
堂本剛という人と堂本光一という人が、お互いの「やりたいこと=エゴ」を極めるところ。巷では二人の方向性の違いが現れるのがソロと考えて解散云々と言う方々もあるようだけど、私は反対に継続のためのソロ、と思う。「(オリジナルな)歌」と「舞台」というそれぞれの大きな情熱と志向をKinKi Kidsというひとつの器に盛るのは不可能だ。ならばそれをソロという形で極めればいい。そしてその結果として得た人間的な成長やスキルを持ち帰り、より固い信頼で結束されたものがKinKi Kidsだと思うのだ。


今回の「ラカチノトヒ」を聴いていてある時思った。あ、これってもしかしてソロ版の「Kアル」なのかも。
剛っさんの音楽は彼の大好きなファンクやソウル、R&Bなどの影響を強く受けている。だが、実はKinKi Kidsの音楽=日本の歌謡曲の影響がより強い気がするのだ。
彼の書くメロディーはとても日本的だ。昭和の歌謡曲のように、一旦日本文化の中に取り込まれ日本的な洗練をされた洋楽の香りがする。戦後のブギウギから始まり、ラテン、シャンソン、ジャズ、ブルースetc.を貪欲に呑み込んだ和製ポップス。洋楽をただコピーするのではなく日本独特の音楽センスと「習合」させて大衆にアピールした、その音楽のテイストを彼は「戻る」というキーワードとともにアルバム中の曲にちりばめた。KinKi Kidsに縁(ゆかり)のある笠置シヅ子や美空ひばりの曲を彷彿とさせるアレンジ、そして節回し。ジャニーさんのこだわった和製ポップスへのオマージュとしてだけでなく、「Kアル」がKinKi Kidsの成長の証だったように、「ラカチノトヒ」もまた堂本剛というひとりのアーティストの成長のバックグラウンドをそのまま反映した、ソロ10周年の記念碑的作品になっていると思う。


KinKi Kidsとソロは矛盾しない。KinKi Kidsで光一くんとわちゃわちゃ中学生のようにジャレ合うのも、ソロで大人の色香をふりまくのも堂本剛という人で、「恋をうたう場」「命をうたう場」と彼の中で線引きはあれど、彼自身も言うように「ジャニーズで音楽をするということが、僕を形作っている全て」なのだ。探さなくとも「自分」はそこにある。ということの発見。ジャニーさん、ありがと。そして光一くん、ありがと。

願わくば軸足は「Home」に残したまま、ずっといいバランスを保って活動を続けてほしい。私はどちらの剛っさんも大好きだから。


15周年、本当におめでとう!早くKコンDVD観たーい!(笑)