日経エンタ 秋元康×KinKi Kids


《 スペシャル対談 秋元康×KinKi Kids J-POPは死なない 》


なっるほどねー。の一言でした。
現場も現場、J-POPど真ん中に君臨、トップをひた走る長距離ランナー秋元氏による「J-POP論」=アイドルから演歌まで、子供からお年寄りまで、彼の作った歌をひとつも知らない日本人なんていないかもと思わせる「名人」のプロデュース哲学。「ファン」ではなく「マス」を相手にする人の凄味が感じられて、KinKiのふたりだけじゃなく、読むほうもただ圧倒される。


<僕が作っているものは屋台のラーメン、一流ホテルのラーメンじゃない。皆に食べやすく食べて欲しい>
<J-POPはコンセプトとか、頭でっかちすぎた>
<誰が作ったっていいじゃないか>
<基本は、誰でも口ずさめること>
<歌が楽器のひとつになっちゃうとJ-POPじゃない>


これ、さりげなく言ってるけど、結構すごいことだと思う。彼は、歌謡曲と呼ばれていたものがいつの間にかJ-POPと呼ばれるようになった、そのプロセスで起きたことを全否定しながら、J-POPという呼び方はそのままに定義を書き直そうとしてる。
バブルという時代を経て、人はブランドを有難がり、コンセプトアルバムをクールと思い、シンガーソングライター=アーティストと信じ、シロウトに難しい曲を歌う歌手を崇拝し、バンド型のサウンド構成、そういうものが「J-POP」なのだと洗脳されてきた。その「J-POP」自体を、どんどん本来「歌謡曲」と呼ばれていたものにまた近づけて行く。家がバス停から遠くなった→バス停を動かす式の力仕事だ。
ふたりに向けるその語り口の穏やかさの陰に「J-POPはオレがつくる!」という名人のプライドを怖いほどに感じる。


彼曰く、「KアルバムではKinKiに、自分が思うKinKiを演じてもらおうと思った」。
J-POPがいつしか「一人称」で自分のことを歌うようになって「虚構の世界」(=歌謡曲の世界)を歌える人がいなくなってきた。だけどKinKiにはそれができるから今回のような作品(「破滅的Passion」)が書けた、と言うのだ。


確かにその歌詞はゴリゴリの歌謡曲だ。言葉の選び方もさることながら、女と書いて「ひと」と読む。接吻と書いて「くちづけ」と読む。手抜かりはない。あざといほど
歌謡曲臭く演出される秋元康ワールドは、中途半端な歌い手では、単なる悪い冗談にもなり得る危うさを抱えている。そのドラマチックな虚構の世界に、いとも簡単にリアリティーを吹き込むことのできるKinKi Kidsは、彼の世界観を表現できる貴重な存在であり、また時空を超えて「歌謡曲」と「J-POP」を繋ぐ(この対談の本文を書いた音楽ライター市川哲史氏の言葉を借りれば)すぐれた「イタコ」でもある。


彼の言う「J-POPは、意図しない場所で流れても力を持ってなきゃいけない」は、KinKiの歩いてきた、そしてこれからも歩んでいく方向を示しているように思う。歌謡曲の耳に馴染みやすいメロディー、印象的なサビは、彼らの哀愁を湛える声を乗せることでまた一層薫り立ち、人の心に残るものとなる。
そして、<誰が作ったっていいじゃないか>も、Kアルバムで久しぶりに歌い手に徹することで、彼らも感じたことだったんじゃないだろうか。久しぶりにKinKi Kidsというものを客観的に楽しむことで見えた自分たちの可能性ってきっとあると思う。
一度、「秋元プロデュース」のKinKiのアルバムが聴いてみたい気がする。


その秋元氏によるKinKiの新曲「変わったかたちの石」は、「歳を重ねていつしか流され丸くなってゆく我が身への戒めとして、川原で拾った石に尖っていた心の自分を思い出すという、KinKi Kidsのマニフェスト・ソングと言っていい名曲(by市川哲史)」なのだそう。
剛っさんが「歌いながら涙腺が危なくなった」というこの曲。このままずっと、今のストイックさを失わないKinKiであり続ける、という意思表明であったらこれほど嬉しいことはない。



関係ないですけど。市川哲史×イタコと聞いてすぐ筋肉少女帯の「イタコLOVE」を思い出した。彼は大槻ケンヂと確か仲良しだったんで。
♪君はもういない だから心 呼んでもらおう そしてそのままイタコと暮らす♪ 
いや〜ん、ケンちゃん、至上の愛よお〜、と泣く友にもらい泣きしたあの日。皆若かったさ。(終)