厩戸皇子と堂本一族


図書館で仏教関係や古代の歴史関係の本を漁っている。
せっかく奈良まで出かけて寺社めぐりをするなら、その建立の由来や時代の背景を知っていた方がより楽しめるであろうという、我ながらまったく欲深く貧乏性なタチなのだ。


これまで私は「遺跡」というものにあまりロマンを感じられないでいた。今思えばそれは明らかにその背後にある歴史に興味がなかったからだが、例えば剛っさんがライブをした石舞台が、厩戸皇子(=聖徳太子)が摂政をした推古天皇を陰で操った蘇我馬子の墓と言われており、そこから蝦夷、入鹿と続く蘇我一族の「倭国の王」になるという野望、そしてそれを中大兄皇子や藤原鎌足に阻まれて没落していくその物語など読んでしまうと、遺跡から急激にナマナマしいドラマの香りが立ち上ってきて、「行ってそこで古代の風を感じたい」などと、もうドップリ「奈良特別観光大使堂本剛」の手中にハマり込んでしまうのだ。


それにしても厩戸皇子という人は面白い。彼に関する伝説など調べるほどに謎が謎を呼んで、そんな人間は存在しなかった説もあるほど輪郭がつかめない。もし飛鳥まで行くなら、その彼の生誕地と言われる橘寺にも行かなくては、とか思いながらいろいろ調べていると、ちょっと面白い剛っさんとの接点を発見した。


兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)というところに斑鳩寺という寺がある。
ここは、厩戸皇子が推古天皇から賜った土地で、「斑鳩荘」と名づけ移り住み、伽藍を建立したのが始まりとされる。一時は七堂伽藍を並べた大寺だったが室町時代に戦火に遭い焼失し、後に復興された。現在は新西国三十三箇所32番、聖徳太子霊跡28番にも数えられ、国の重文指定も受けた三重塔もある由緒ある古刹なのだ。


その斑鳩寺の所在地「兵庫県揖保郡太子町」。
KinKiのファンで「堂本」という苗字のルーツを調べた方も多いかと思われるが、全国で5000人ちょっとしかいないこのわりと珍しい苗字の発祥の地と言われるのが「播磨国揖東郡堂本村」。「ん?もしかしてご近所?」と、市町村制施行前の明治の記録を調べると、太子町も元々は揖東郡の一部で、現在「兵庫県たつの市龍野町堂本」(おお、ここにもちゃんと龍がお供してるっ)として残る字(あざ)「堂本」とは隣同士。斑鳩寺までもほんの2〜3kmしか離れていない。その昔から太子信仰は盛んだったと言うし、堂本村の人たちも隣村までお参りに足を伸ばしたに違いない。


また、この斑鳩寺は、戦国時代に豊臣秀吉や新田義貞らの武将が戦の勝利を祈願する「勝軍会」を開いたところとしても知られている。「和を以って貴しとなす」と十七条憲法を作った平和主義で草食系のイメージがある厩戸皇子だが、戦においての優れた策士、武人として信仰される側面もあるのだ。
コーイチくんが「オーラの泉」で「剛さんとの縁は先祖の縁。戦いの中でお互いに助け合った」というようなことを言われていたのを思い出して、ふたりのご先祖が戦の前、ともに斑鳩寺へ必勝祈願に行く図、なんていう妄想も膨らむ。うーむ、いつか行ってみたい。そこで斑鳩寺を勝手に「KinKi重要文化財」に指定することに。


三輪山で止めとくつもりだったけど、こうなるとどうにも飛鳥方面にも足を伸ばしたくなる。時間もないし、レンタサイクルという手もあるが、もう随分自転車なんて乗ってないぞ。行けるのか、自分っ。