七夕の夜に


今日は七夕。ということで、私も近くの美術館の庭を借りて行われた七夕祭りに行ってきた。


日本人が集まるささやかなものを想像していたらさにあらず。広い庭に縁日のような露店が並び、太鼓などの演奏や盆踊りが、特設テントではお茶会が行われており、ざっと見渡したところ日本人は3割程度。その他は全て外国人で、竹とんぼや折り紙のワークショップのコーナーは大盛況だった。浴衣(コスプレ?)を着た人も多くて、来年は私も浴衣で行ったろーかしら。


そこでバッタリ会った中国人の友人に、「七夕祭りって日本の東北のお祭りじゃないの?」と尋かれて、「ん?」。織姫と彦星の話は元々は中国がオリジナルなはず。帰って調べてみると、どうやら私たちが子供の頃聞いた七夕の物語は、奈良時代に伝わった中国の伝説と、日本の古事記や日本書紀などの話が「習合」したものらしい。笹を飾るのも日本だけで、「さくら」と同じく「ささ」の「さ」が言霊信仰では「精霊の依り代」を意味する音だからだとか。しかも、笹を願い事を書いた短冊などで飾るのは江戸時代からで、このスタイルになったのはそんなに古いことではないのだそうな。


剛っさん曰く「織姫と彦星が会ってなんかわちゃわちゃする日」の七夕祭りは、本来は天の川、彦星、織姫星が一番きれいに見える7月6日の夜中から7日の明け方にかけて行われたもの。
大和びとが満点の星を眺めながら、月も星も見えない空を仰ぎつつ、七夕を歌った和歌は万葉集にも多く残されている。


天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 船出すらしも <山上憶良>
  (天の川の船着場に波音が騒がしくなる。私の待つあなたが船を漕ぎ出したのでしょうか)


万代に 照るべき月も 雲隠り 苦しきものぞ 逢わむと思へど <柿本人麻呂>
  (いつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまった。苦しいことだ。逢いたいと思うのに。。)


この夕 降りくる雨は 彦星の 早漕ぐ舟の 櫂の散りかも <作者不明>
  (この夕べに降る雨は、彦星の急いで漕ぐ舟の櫂のしずくかも)


古くから使われていた太陰太陽暦では、七夕の日は必ず上弦の月だったところから、これを船に見立てることもあったと言う。
そんな夜、奈良のお船では、今夜「ライブがDVDになるらしい」「アルバムも出るらしい」という話があったとか。そして会場には、以前「Nijiの詩」のPVを撮った宮城県のカメラマンの方が入り、ステージにも上がって、剛っさんの依頼した「人間力」をテーマに撮影をされた模様。
SWING-Oさんが明日でお別れ、という残念な話もあったようだけれど、剛っさんはいろいろなところで結った縁をいつまでも大切にする人だから、きっとまた彼と共演する日も来るに違いない。船旅には毎日ドラマがあるのであった。