「プラトニック」始まりましたの巻


やっと「プラトニック」を観た。
脚本の野島さんは、ついこのあいだ、「明日ママがいない」という児童養護施設を舞台にしたドラマで物議を醸し(脚本は監修のみ)、話題になったばかり。その彼が初めてNHKドラマの脚本を書くということで、この「プラトニック」も注目を集めた。


初回は淡々と、しかしジェットコースターな展開。
心臓疾患を抱える娘を持つシングルマザーと不治の病で余命いくばくもない謎の青年とがネットの自殺サイトで知り合い、彼は彼女の娘に自分の心臓をあげると言う。しかし、それが臓器売買とみなされるとなると、自分と結婚すれば法的には問題がなくなるから「結婚しましょう」。倒れた時にすぐ病院に運んで移植手術ができるから「同居は必要」。いかにも理系っぽく、まるで他人事のように自分の死後のことについて淡々と合理的に話を進めてゆく青年。その本意は彼の穏やかな表情からは読み取れない。そんな青年に翻弄されながら次第に惹かれてゆく(らしい)彼女。


ポスターのコピーの「愛したときが、彼が死ぬとき。」、という言葉のとおり、なるほど謎に満ちた刺激的なラブストーリーっぽい予感。よーしこうなったらこのココロざわめかせる野島マジックにアッサリ呑み込まれてしまおーじゃないの。


みぽりんの役は剛さんが出演した「スタジオパーク」でも言っていたとおり、難しそうだった。こんなことが起きたら誰だって混乱する。いつその日が来るかわからない娘の命を助けたければ彼の死を望むしかない。そして、そこに男女間の愛情など芽生えたら、苦悶は一層深くなる。
彼女自身は「彼女の行動は理解できない」というようなことを言っていたけど、これは同じ子供を持つシングルマザーだからこそ、簡単に同情などできない、理解したくないという思いを持つんだろう。


一方、剛さんの「謎の青年」のもう半分儚くなってしまっているような、過去も未来も捨てて、現在この刹那にその「コト」を遂行することだけを考えて生きている佇まい。もう彼にとって世界は終わってしまったかのような、静かな諦念の漂う眼差し。そこにわずかに残る「心臓を差し出す」という熱は、一体どんな想いに支えられているんだろうか。さりげに女心を揺さぶる言葉など吐いているけど、今の彼には彼女への愛情は一切感じられない。それよりもその諦念の向こうに追いやった過去の女性への愛情の強さがひりひりと伝わってくる気がする。


演技は、失礼して上から言わせていただくと、「うまくなったなー」という印象。
昔のドラマを観ると私にはどうしても彼の器用さが目についてしまう。その人並み外れた人間観察力、勘の良さも、彼独特の繊細な感性があってのことなのだけど、どこか「型」を意識しているような「うまさ」を感じることがたびたびあった。でも今はそこに人間的な成長や自信が伴って、より繊細で深く複雑なニュアンスを生み出せる「表現者」になったなあと思う。


彼の好きなジョニー・デップも同じタイプの役者だ。セリフよりも、目や佇まいやほんのわずかな指先のニュアンスでもって全てを語ってしまう。非現実的な雰囲気があって、人間臭い話よりお伽噺が似合う、というより、彼がいることで話がお伽噺になるような存在感を纏う。
だから野島さんが剛さんを抜擢したこの「プラトニック」も都会のお伽噺のようなものなのかもしれないなと思う。重いテーマだからこそ、そこにふわりと降り立った「魔法使い」と必然的に出会った人々の小さな奇跡と運命の物語。
そう言えば、公式サイトの登場人物紹介によると、今回ちらっと登場したコンビニ「4U」の店員は、「手を握るとその人の近未来が見える」という設定なのだ。


益々お伽噺臭がしてきた。私はこういうのが大好物なのだ。