Fashion&MusicBook 「彼方(タイムマシーン)」


昨夜のFashion&MusicBookで、「彼方(タイムマシーン)」がかかった。


<奈良のShipでファンの人に”奈良”というお題をもらい、歌い出した。それが非常によくて、ブラッシュ・アップして「ロイノチノイ」に収録した。オーディエンスの人たちの見守る中、オーディエンスの人になにかヒントをもらいながら奈良で自然と作ったもの>


   未来と 過去と 止まった針の音を 抱き寄せ... 空を観てた
   嗚呼... ぼくの街(まち)よ
   嗚呼... ぼくの都(まち)よ
   生まれた場所を 育った場所を 繋ぐなにかが見つからない日も
   見上げて 泣いたよ 広がる 彼方を... 


この詩の中にも出てくるように、最初に聴いた時「街」を思い浮かべた。
「街(まち)」で苦しい日々を送りながら、まるで生まれ育った「都(まち)」に心を置いてきてしまったように思ったあの頃。遠い西の空に想いを馳せながら夢見るように歌っている剛少年を、時の彼方から見守る2012年の剛さん。そんな画が浮かぶ。東京と奈良。物理的にはふらりと日帰りもできる距離ながら、当時の彼にはさぞ遠く感じられたのだろうと思う。


この曲を聴いて、私にもなんとなーく思うところがあった。
今、日本から9000㎞ほど離れたところに住んでいる。好きで好きでたまらなくて、独身時代に貯金をはたいては旅をした欧州の片隅に。でも結婚してここにずっと住む、と決めた時にはそれなりの葛藤もあった。8割は「わ〜い!」だったけれど、当座の不自由は目に見えていたわけで。


とにかく「活字」に飢えた。この街には日本語の出版物を売る書店などないし(今もない)、中央駅や空港に売っている衛星版の朝日新聞と日経新聞でしか日本のことを「読む」ことはできなかった。誰かが入手した週刊誌などボロボロになるまで日本人の間を巡り巡った。
多分当時海外に住む日本人は誰でも同じような境遇にあったのだと思う。それでも皆それなりの覚悟をして「エイヤッ」と日本を後にしていたので、なんとかその土地土地の文化に馴染み、一生懸命面白いものを見つけ、人生を楽しもうとしていた。


が、インターネットがずんずんと生活の中に入り込んで来た頃からその覚悟がじわじわと揺らぎだした。なんというか、嫌いで別れたわけじゃない元カレに再会、焼けぼっくいに火が付いたというか、なんとか組み上げた「覚悟」の屋台骨をシロアリにさくさくとヤラレてゆくような、そんなかんじ。


今ではネットを覗けばいつでもニュースが読めるし、日本の「なう」がタレ流しになっている。本も読めるし、動画サイトに行けばドラマもバラエティーもほぼリアルタイムで観られる(すいませんすいません)。Twitterなんか始めちゃった日にゃあ、語弊なく「なう」が体感できるのだ。
時空はゆがみ、9000㎞の物理的な距離感など消し飛ぶ。あの頃あんなにかじりついて観たこっちのTVなど見向きもしなくなり、皆声を揃えて言う「やっぱ日本のお笑いじゃないと腹から笑えない」。


先日、漫画家のヤマザキマリさんがこんなことをTweetしていた。
「イタリア人の面白くもなんともないジョークに心底から笑えるという術をかつて持っていたはずのに、最近では愛想笑いもできなくなった。やろうと思えばできるが、エネルギーを絞り出さないとダメ。味覚も然り。人間って基本ナマケモノな生き物なんだと思う」。(彼女は在外歴20数年)
もう膝叩きまくり。よかった、私や私の周辺だけがヘタレなんじゃなくてみんなそうなんだ。わーん。


ネットのおかげで故郷が近く感じられるのは喜ばしいことながら、どうにもバーチャルリアリティーに依存気味で、それまでの「遠い異国で暮らす」覚悟、我慢、努力なんてもんを失いつつある今日この頃。
あの頃の、初々しい志を持った私はどこに行ったのおぉっ??と、涙目でそっと空を見上げるのでありました。