新堂本兄弟 「ボクの背中には羽根がある」 


ああ、なんでKinKiの「愛してる」はこんなに切ないんだろう。
今夜の新堂本兄弟の「ボクの背中には羽根がある」をリピっていたら、そのまま「むくのはね」(去年のラジオでの生歌ピアノVer.)だの「いのちの最後のひとしずく」だの、切なさMAXセトリの永劫ループという名の泥沼にハマってしまった。


やっぱり私はKinKiの何が好きかというとこの「愛してる」のうしろに棲まう黒猫の気配のようなもの、なんだと思う(なんだかちょっと村上春樹みたいだけど)。


テゴマスの「ボク羽根」は、盛大にその恋の成就を歌い上げる。将来の約束をしたカップルが「ずっと君と生きてくんだね 胸に頬寄せて確かめる どんな辛い未来が来ても 二人だったら乗り切れるさ」と、ウットリお互いの瞳の中に自分を映し合う。彼らの甘く屈託のない歌声で聴くこの曲はまるで別の曲のようだ。いや、多分そういう歌なのだ。本来は。
それが、KinKiが歌い出した途端、その「シアワセ」のうしろをするりと黒猫がすり抜け、物語がほの暗く転調する。


剛さんの言葉で言えば、「あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうの」ということなのだが、幸か不幸か彼らの声は言葉にせずともその響きをあらかじめ纏ってしまっているんである。声に黒猫が棲まっているのだ。どうだ、不吉だろう。
でもご安心あれ、その黒猫の首の鈴は警鐘なのだ。大切なものを見失わぬよう、愛を見間違わぬよう、彼らの小さな震えまでシンクロする歌声が恋の初めの乙女心の震えを思い出させてくれるのである。おかげでおばちゃん今夜も大泣きだ。(昨夜は真央ちゃん録画で観て泣きました)


フと気づけばLアルバムは「LOVE」ばかり聴いている。「LIFE」にも大好きな曲がいくつもあるけど、やはりKinKiは「LOVE」なのだ。剛さんが命の始まりである「LOVE」を歌う場所。自分で書くことを封印している「想い」を吐き出すところ。
今夜の「ボク羽根」、二人の声が溶け合う瞬間に、切なさに隠した凄まじいばかりの「NO LOVE, NO LIFE」の響きを感じた。