Fashion&MusicBook 忘れてないよ


今夜のラジオで剛さんの家族の話の中にこんなエピソードがあった。
< 「瞬き」をつくる時、家族の写真を沢山見返した。僕が生まれたことで主役が変わるっていうか、お姉ちゃんからお母さんを奪ってしまった気がした。寂しかったと思うのに、自分を世話してくれている写真が沢山あって、「ありがとう」って改めて伝えた >


私も同じような経験がある。でも剛さんとは逆の立場、3人の弟妹のいるお姉ちゃんとして、妹に「ありがとう」と言った。


末っ子の妹と長女の私は一回りほども離れているので、年が近い弟たちが「気が付いたらそこにいた」のに対し、妹の時はひとつひとつの場面を今も鮮明に覚えている。数年前の彼女の誕生日、何の気なしにおめでとうメールに彼女の生まれた時のことを書いた。
祖母が「お母さん、赤ちゃん産むんだよ」と教えてくれた時のこと、嬉しくて母に「絶対に妹産んでね!」と頼んだこと、父と一緒に名前を考えたこと、あの朝早くに陣痛が来て慌ただしく父が母を病院に連れて行って、いつもと味の違う祖母の作った朝ごはんを食べたこと、学校から帰る途中、隣のおばさんが「さっきおばあちゃんに会ったら生まれたって!妹ができたよ!」と教えてくれて、嬉しくて嬉しくて走って帰ったこと、それが雲ひとつない秋晴れの土曜日だったこと。
生まれてきてくれて本当に嬉しかったよ。ありがとう。


妹からの返事には、「そんなに喜んでもらえてたなんて夢にも思わなかった。お母さんを独り占めして悪いとずっと思ってたから、嬉しくて涙が出た」。
なんとなく気まぐれで書いたメールで泣かれて姉驚愕。こっちは小さな妹が可愛くて可愛くてそんなこと考えたこともなかった。ただ、私は彼女が小学生の時に東京で暮らし始めて、滅多に家に居ない「幻の姉」となったので、それを子供は子供なりに考え、「自分のせいかも」と思っていたらしい。


「以心伝心」は確かに美しいけれど、一緒に暮らしているから言わなくてもわかるはず、親子(夫婦、兄弟)だからわかるはず、に甘えて大切なことを言い忘れていることってきっと多いんだろう。
私とて、照れくさいからそれまでわざわざそんなことを言ったことがなかったのに、その時するりと「生まれてきてくれてありがとう」なんて言葉が出たのは、「以心伝心」という概念のない文化の人と暮らしているからだろうと思う。この概念が根本からない相手には、「こんなことまでーー!」と思うようなことまで言葉と態度で表さないと伝わらない。そのおかげで、感覚的にいろいろ「麻痺」してきていることが、思いがけず家族とのコミュニケーションを見直すきっかけになった。


< (大切な人と)忘れてはいけないものを共有して時間を過ごしてください >
「忘れてないよ」、と伝えること、大切なものを共有しているのを確認すること。そんな小さなことが、未来を共に生きる力になる。