Fashion&MusicBook 「電(いなずま)」


昨夜は「天魔さんがゆく」の挿入歌「電(いなづま)」のOAがあった。
この曲、わざとなのかなんなのか、曲と全く脈絡のない部分で使われるので(しかもチラッとだけ(笑))イマイチ実態がつかめていないところがあったのだけど、こうしてじっくり聴くと、「喪失」の衝撃の余韻が生々しく伝わってくる、誰もが抱えるとてもパーソナルな痛みに共鳴してくる曲だと思った。


< この年になると、いろんな方が亡くなる。やっぱり人間って消えていくんだなという実感が湧いてくる。生きるっていうことを懸命に目指して、磨きをかけて生きるのと同時に死というものを考えていく。


(この曲は)「言葉ではとでも追いつけないこの痛みを愛そう」っていう歌詩から始まってる。大切な人が亡くなったその時の気持ちを話そうとしても、足がもつれるように喉がもつれるというか、心と言葉がうまくかみ合わなくてもつれて行っちゃうような、感情の方が先走って行っちゃうような、そういう痛み。


「電(いなづま)が落ちたような焦げた心を生きている」っていう歌詩は、急に大切な人がいなくなった時の衝動を「電(いなづま)」って書いてる部分もあるけど、それよりも「焦げた心」が真っ黒になって焦げて、ひりひりしてんねんけど、でもその心で残された人は生きていくっていう、そういうことを書きたかった。天に昇って行った人に対しての感謝という楽曲でもあるねんけど、その残された人が今を強く生きている、っていうメッセージを「電(いなずま)」っていうものに込めたかった。


「いなづま」ってふつう稲に妻で「稲妻」だけど、古来から伝わる”なんで稲と妻なのか”、っていうとこよりも、電気の「電」の方が歌うべきテーマな気がした。「焦げた心を震わせて僕らは生きてるんだ」って、「生きて行かなきゃいけないんだ」って。「電(いなづま)」にしたことで、全てがピントが合うっていうか、三つ四つ言いたことが、この電気の「電」の「いなづま」で全部言える感じがする >


雷水晶(ライトニング・クォーツ)というものがある。
ライトニング(いなづま)という名前のとおり、地中にある水晶の上に雷が落ちて出来る。落雷の電圧と衝撃で白濁し、欠けたり、ひびが入ったり、様々な「傷跡」を留めながら、不思議に温かな包容力や力強さを感じさせる。
人もまた同じだろう。生きていく間に、まるで電(いなづま)が天を裂き地を揺るがすような衝撃に何度も何度も打たれ、傷つき、痛みを超えることで、また強く蘇る。


「電(いなづま)」は、天からもらった命をまた天へと見送る祝詞のようでもある。それを彩る十川さんの手によるものであろう、少しウェットでセンチメンタルなアレンジが、心震わす。