Mステ 「瞬き」 〜見送るということ〜


古い記憶のようなモノクロームの世界。時折映る剛さんの靴とイヤモニの赤がやけに鮮やかだ。歌う剛さんの後ろの白いスクリーンに、四角く切り取られた彼の左目の写真が映し出される。開いた目は、まっすぐにこちらを見据えている。それと、目を伏せたもの、閉じているもの。スクリーンに順に現れては、「瞬き」をする。


Piano ver.。ピアノの儚げな伴奏のみのシンプルさが、この曲によく合っている。
この曲を聴くと、「Nijiの詩」をどうしても思い出してしまうのだけど、あの曲を震災後にMステで歌った時とは、同じ命の歌でもまったく印象が違った。受け入れ難い現実を前に、未だ混沌としたパニックの中にいた彼と比べると、今の彼は大切なものを「失うこと」を静かに受け入れたように見える。


歌詩を読んでいて、昔どこかで聞いた言葉を思い出した。
「年を取ると物を忘れていくのは、この世に執着を残さないためだ」。死を恐れることなく、物や人に囚われることなく、いっそボケてお花畑からさようなら。「それが誰にとっても一番いい」なんてことを亡き祖母はよく言っていた。
そして昨日は、武道家で思想家の内田樹さんがTwitterでこんなことをつぶやいていらした。


< (週刊誌から取材を受けて)今日のお訊ねは「親孝行とは」。お答えは「10代後半から40代までは親と盆と正月と親戚の法事くらいでしか会わず、会ったら敬語で時候の挨拶をするくらい」がぐう。
その年代は「親とはかくあるべきだ」という基準が子供の側にあるので、親に会うと「自分の基準と違う点」だけが目に付き、それに腹が立ち、場合によっては「自分の基準に合うように生き方を変えろ」と要求するようになります。そうすると親子で傷つけ合う他ありません。
でも、自分に子供が出来て、その子供から「親離れ」されたり、自分の親が余命幾ばくもないということになると、そういう「かくあるべし」の呪縛がふっと消えます。そうすると親と会っても「ああ、この人は『こういう人』だったんだ」ということが素直に認められるようになる。
親孝行のピークは通常「親が死んだあと」に来ます。「墓に布団は着せられず」ということわざがあるのは、親が墓に入った後に「布団を着せたい気分」になるのが人間として標準的だ、ということです。死という超えられない距離を隔てたときにはじめて親のことがよく理解できるようになるからです。
ですから、若い人への親孝行のアドバイスは「若い時は親とあまり関わりを持たない」「親の挙措を見ていちいち『頭に来る』ことがなくなったら、たまに会い始める」「親の余命が残り少なくなったら、いっしょの時間をぼんやり過ごす」「死んだあと、親がどういう人だったのか、理解しようとする」です >


逝く者と逝かれる者、それぞれの「執着」。「大切なもの」であっても、そこから前へ進むためには「過去へ見送」らなくてはならないものもある。
今夜の剛さんは、全く力むことなく、演じることもなく、何かを静かに見送っていたように見えた。