Fashion&MusicBook 「瞬き」〜永遠の一瞬〜


「瞬き」がフル解禁になった。


こうして音だけ聴くと、「天魔さん」のエンディングであの3人がてくてく並んで歩いていく画に乗せた時と随分違う印象を受ける。
先日これに先立って一部解禁されたMVを見たからかもしれない。白いシャツを着た剛さんが白い部屋で白い椅子に座って歌っている。逝くものをひたすら追うような、すがるような眼差し。いつものまっすぐな声が翳りを帯び、胸の奥で鳴り響く悲しみに押し出されるように空に放たれる。


イントロの最初の音が落ちてくる前に、カタカタカタ・・という音がする。古い8mmフィルムを映写機にかけたような音の向うに幼い子供の声。カシャ、とテープの停止する音。曲の途中にも、また子供たちの楽しげに遊ぶ声。デジタルカメラのピッというシャッター音。そしてそこにさざ波のようなタンバリンの音と、ぷくん、と泡のはじけるような音が繰り返し重なる。
「Nijiの詩」のMVを思い出す。震災に遭った東北の海。たくさんの人生を、思い出の詰まったものたちを根こそぎ浚い、呑み込み、静まりかえる海の中を延々と映したあの映像。そして、ニュースで見た瓦礫に埋もれ泥にまみれた写真やアルバム。


折りしも、その東北の海を舞台にした「あまちゃん」が、昨日の放送で2011年3月 11日を迎えた。「瞬き」にあるように、「今日があれば明日が来ると」何の疑問もなく思っていたものが突然断ち切られる。その物語の続きはもう永遠に見られない。
災害に限らない。失くす、というのはそういうことだ。それは、あたかもビデオテープが停止するように突然終わり、ピッとデジカメで切り取られた「永遠」の欠片だけが残る。


<人の死を受け入れること、亡くなった人とどんな風に自分自身の人生の中で向き合って行くか。自分が見えている景色をちゃんと記録じゃなくて記憶しようという曲。自分にとって「これぞ」という記憶を一枚の写真にして、思い浮かべながら聴いて欲しい>


剛さんの声は、死と生の真ん中で儚い今という一瞬を歌うshamanの声だ。愛しさと深い慟哭を呼び戻し、忘れてなんかいないことを、思い出させる。