「shamanippon」への帰還


TUKUFUNKのイントロが流れ始め、淡い月明りのようなライトに剛さんの白いギターが浮かび上がる。
ああ、これだー。丁度1年前の記憶が蘇り、ざわめくshipの中の熱い人いきれを思い出す。


やっと去年の「shamanippon〜ラカチノトヒ」のLIVE DVDがリリースされた。7月14日に収録されたものだから、2ヶ月間のロングラン公演ももう終盤戦に入った頃だ。私が参加した最後の公演が6月後半だったから、そこから随分と変化していったらしいあの空間へ帰るのをずっと楽しみにしていた。


若干固さのあった最初の頃と比べるとステージ上はもちろん、リピーターが増えたからだろうか、客席が随分リラックスしている。とにかくステージが近いのと、その音楽、ライティング、スクリーンに映し出されるイメージ、どれもが圧倒的な美しさを放っているのとで、初日の観客などただひたすら呆然としていた。
「くにのうた」で客席で演奏するホーン隊、風にたなびく「くに」の旗、「ラカチノトヒ」「一鼓動〜1beat」での剛さんのGroovyなダンス・・・繊細な色彩のライトとイメージが重なり合う、光と影の中に現れる「くに」の音楽隊。その姿は月明かりの下で歌い踊る妖精たちのように幻想的だ。


メンバー紹介の時の自由奔放なセッション、最初は各自ごく普通の短いソロ演奏だったのが、回を重ねるうちにひとりひとりのミュージシャンをフューチャーしながらの小さなセッションの場になったようだ。改めて、豪太さんの無敵のセンス、kenkenの天才さ、そして平岡さんの天地を揺るがす巫女の謡い・・なんていうのをしみじみ聴いていると、こういう個性の塊のような人たちをまとめる剛さんという人は一体ナニモノなのかと思わされる。


そしてその延長上にある「つよ散歩」。6月の後半に突然始まった剛さんの客席への「ご降臨」。
私も経験したあの熱狂、こうして今LIVE全体を客観的に見ると、客席の子供たちの前で笑顔を見せながらギターを弾くところにほっこりしながらも、「あれは一体なんだったんだろう?」と正直キツネにつままれたような思いがした。それまでの流れを止め、せっかく上がった温度を引かせてしまう(長いから関係ない席の人にはやや退屈なのだ)。LIVEをひとつの物語としたら、それ以前の(初日を例にとれば)、■ひとからなにかへと ■Mind Light Blues ■一鼓動 ■きみがいま とエンディングまでイッキに走り抜ける方が観客は強いカタルシスを感じたはずだ。「裏」でタイジさんも言っていた、その「普通LIVEで一番大切なこと」を外してまで剛さんがこだわったこととは?


「裏」の方では、「ステージと客席が近すぎて現実的すぎる。ちょっと別世界感がほしい」と言いながら、「散歩」でわざわざ自ら結界を破る。
最初はキッチリと細部まで作りこんだ「shamanippon」というコンセプトアートが、最終的にはかなり実験的な「ハプニングアート」へ進化を遂げたということなんだろうか。「場」の力に寄り添って(堤さんの言葉を借りれば「合体」)、起きた事そのものをアートと捉える。その日のバンメンの気分、バイオリズム、相性、天気、観客のノリ、毎日変わるものから偶然生まれる唯一無二の音を楽しむ。実際どうなることか予測のつかなかった「散歩」もその延長線上にあったと思うと納得がいく。(剛さん曰く「理由付けはファンがしてくれる」(笑))


堤さんは、その剛さんのいい意味でのええ加減さ、自由奔放なアーティスト気質をこの作品でストレートに父親のような愛情を以って見せてくれた気がする。洗練されたカメラワークで撮られた細部にまでこだわった最高にCOOLでスタイリッシュなステージと、そこで起きている何か不可思議な現象に見えるもの。その堤さん自身にとっても「正体を見極めるのが難しい」ものを、shipという空間で起きた事を忠実に記録した作品に仕上げる事で私たちに見せてくれたのだと思う。
そこに垣間見れるGrooveの中に生まれた奇妙な閉塞感や、手練のミュージシャンと客席の間にあるギャップは、彼を取り巻く現実の環境そのものであり、その両極を生きるのが多分堂本剛という人なのだ。そういう意味でこの「LIVE」は、ありのままに「生きる」人間の記録のように見える。


彼は元々理論的な人ではないから、いろんなことをふわっと決めて、言葉にできないことをぎゅんぎゅんエフェクターかけまくったギターで饒舌に語っている。LIVEに参加できなかった方々も、剛さんの魅力をあますことなく見られるこのDVDで、「shamanippon」というくにの始まりを是非体感して欲しい。そして、感覚を研ぎ澄ませ、想像力をフル稼働して、堂本剛というカオスを奏でるギターのGrooveに心の感じるまま身体を揺らしていただきたいと思う。