「ビフォア・ミッドナイト」


映画を観てきた。「ビフォア・ミッドナイト」。
1995年の1作目「恋人までの距離(ディスタンス)」(原題:Before Sunrise)、9年後に作られた2作目の「ビフォア・サンセット」、そこからまた9年、”ビフォア”シリーズの3作目だ。


私もツレアイもこの作品が大好きで、毎回美しく余韻の残るエンディングに続編を心待ちにさせられてきた。恋愛モノには珍しくちょっとカルトっぽい人気がある作品だ。その面白さは、ほぼ全編が主人公のカップルのダイアローグ(会話)だけで構成されているところ。どのエピソードもふたりの人生の中の「ある日」の出来事。ナチュラルでウィットに富んだ会話の中で、彼らの運命がゆっくり次の展開に向かって動いていくのが見える。


さっくりと紹介すると、1作目はアメリカ人のジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人のセリーヌ(ジュリー・デルピー)が、ヨーロッパの長距離列車の中で出会い、恋に落ちるところから始まる。話が弾んで別れがたくなったふたりはウィーンで途中下車し、街をさまよい歩きながら一晩語り明かす。人生について、恋愛について、将来の夢etc...話は尽きることがない。突然の出会いに戸惑い、お互いの心を探りあいながら、ぐんぐんと惹かれ合う。観覧車、レコード屋、占い師、即興詩人、印象的なエピソードがふたりの距離を縮めていく。そして翌朝、彼らはまるで運命を試すかのように「半年後、このホームで会おう」とだけ約束を交わし、別々の暮らしへとまた旅立つ。


彼は翌日アメリカへ帰る。彼女は親戚を訪ねる旅の途中。出逢ったときに既に別れへのカウントダウンが始まっている。「愛してる」と口に出してはみても、これが運命の恋なのか、それとも単なる一夜の出来事なのか、自分たちにもよくわからない。
そして、本当にふたりは半年後にあそこでまた逢ったのか、その顛末が2作目で語られる。


日本のラブストーリーが、沈黙や逢えない「空白」で募る想いを表現したりするのに比べて、このふたりが距離を縮めるためにとにかくひたすらしゃべりたおす、というのはある意味とても欧米的なのかもしれない。
お互いを知り合うために自分の頭の中にあることを目一杯吐き出すという、プリミティヴな言葉の力を信じるコミュニケーションの形に私はどうにも惹かれてしまう。しゃべってはケンカをし、そしてまたしゃべることで元の鞘に戻る。素直に感情をぶつけ合い、その伸びたり縮んだりする距離を繰り返すことで愛情がどんどん強固なものになっていくような、とても原始的な人間関係の在り方。


そして、少しひねくれたところのある優しい文学青年役のイーサン・ホークと、陽気でちょっと強がりの女の子役のジュリー・デルピーという、キャスティングの魅力。ジュリー演じるセリーヌは、いかにもラテン系の女性らしく情熱的。キチンと恋の駆け引きなどもしてはみるが、一旦感情が爆発すると本音がダダ漏れてしまうところとか、とても可愛い。怒り狂う彼女を冷静に理論で諌めようとして逆ギレされ、それを必死に笑わせようと四苦八苦するイーサンのジェシー。どちらもアラフォーで体型も変わってきたけれど、ほんとうに魅力的な俳優だと思う。


今回の3作目、テーマは「心が感じるままに行動したことは本当に正しかったのか?」なんだそう。2作目以降のネタバレになるので詳しいことは書かないけれど、とてもクリアな答えがそこにあった。情報のジャングルで迷子にならないためには、自分の直感を信じることが大切、と言うことなのだ。
日本では来年初めの公開になるそうなので、その前に1作目2作目など観ておいてはいかがでしょーか。激しくオススメの作品。