拓郎さん「人生を語らず」を語る@幸拓ANNG


「幸拓のオールナイトニッポンGOLD」、きっと剛さんも拓郎さんとこうしてゆっくり話しをするのを楽しみにしてたんだろうな。これが真っ昼間シラフで録音されたものとは到底思えないほど、相変わらずおじさんたちテンション高くてすごかったけど。


ラジオドラマ「まわしの少年」、KinKi Kidsの思い出話、拓郎さんキス魔話、ついでに剛さんが坂崎さんの妹募集企画の審査委員長に就任とか、とにかく楽しい話題てんこ盛りの2時間。でもやっぱりここは、本人曰く「こんなことしゃべるのは珍しいんだぞ」の「吉田拓郎の音楽論」部分を。剛さんがカバーした「人生を語らず」を語る拓郎さん。


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音楽っていうのにはどうしても好き嫌いがある。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。自分が嫌いだと思っても、それを好きなやつもいる。
あと、好き嫌いともうひとつ感性ってやつがあって、嫌いな中にも自分の好きなものを探す努力とか作業がある。逆に好きなものの中に嫌いなものも探せるのも感性。


今回のこの剛のアルバムですごく感じたのは、堂本剛ってのはいい音楽のブレーンを持ってるていうこと。君は幸せだよ。いいブレーンを持つことは音楽活動をやる上で大事なことだから。


「人生を語らず」を選曲したのは、僕はすごい無茶だと思ったんだよ、最初。
この曲は、70年代に僕がものすごい血気盛んでエネルギッシュで、「誰にも音楽で負けやしない!」って自信に満ち溢れて肩で風切って歩いてる頃に吹き込んだ歌なんで、どうしたって「あれに勝てるなんてことあるわけがない!」と思ってるわけ。
それは今も思ってる。他の人があれをカバーしても、絶〜っ対にあれを越えられない、と思ってる。


だけど、それを剛が見事に変えたのは、あの原曲を一回ないことにして、70年代の吉田拓郎の「人生を語らず」を、あれはあれとして、違う解釈を加えてるわけよ、堂本剛が。ある意味のアレンジなんだけど、その解釈の仕方が、70年代に俺が肩で風きってたあの解釈に、
「あれはまあいいっすから、吉田さん。ちょっと違うのもあるんすよー。こんなやり方もあるのに知らないでしょー?」
っていうのを見せてくれたかんじがした。
俺は参ったね、正直言って。


僕のコアなファンは、堂本剛があの70年代の拓郎の「人生を語らず」を越えられるわけねえだろ、って思ってる。あの解釈の仕方しかないから。70年代の元気な吉田拓郎のあの解釈だけ、一通りの解釈しか持ってない。
解釈をもっと深くして広げると、音楽って広がっていって、ああ、こういう解釈があるんだ、っていうのを堂本剛が証明した。だからこの「人生を語らず」の出来は、すごい。
剛のね、音楽の解釈の仕方の幅を感じて、俺はこれは新曲だと思う。素晴らしい。自分でもいい曲だなあって思う。


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「わあ〜、すごい!」
「めっちゃうれしい!」
拓郎さんの絶賛に、子供のように喜ぶ剛さん。


「拓郎さんは僕を、音楽っていうものに突き飛ばしてくれた人。おまえ音楽やれ!って背中を叩かれてやったから、今音楽が自分の体の、生活の一部になった」
「拓郎さんから学ぶこと、多かった。こんな男の人になりたいと思った。勇気を持たないと言えないことを、僕らのことを考えて言ってくれたのを、拓郎さんと離れてみて分かった」
「”越えて行けそこを 越えて行けそれを まだ人生を語らず”とか、そこにすごく励まされた」
「拓郎さんの『人生を語らず』を超えるのは無理。だから、拓郎さんが当時作った想いとか、今その曲を大切にしてはる想いに対して敬意を感じながら、自分ていう人生をサウンドに変えてみたらどうか、と考えた」


師であり父のようでもある拓郎さんをうならせた剛さんの「人生を語らず」。
実はこの曲は拓郎さんが人生で大きな裏切りを味わった時期に作った曲だと聞いた。その想い入れのある曲を歌う剛さんに、若き日の拓郎さんのような激しさはない。が、不思議なほど力みが感じられないその声からは、師から学んだ人生への揺るがない信念がただまっすぐに響いてくる。そして、しっかと前を見据えた瞳は、拓郎さんと出会ったあの日と何も変わらないキラキラした少年のままだ。


剛さんのバンメンさんたちをベタ褒めの拓郎さん。いつか剛さんとステージで共演なんてことになると嬉しいな。音楽って本当にこうして人と人の縁を結っていくものなんだな。じ〜ん・・。