Fashion&MusicBook 愛のお話


一昨日のラジオは、26歳の女性からのメールから始まる愛のお話。


『31歳の男性と5年交際している。人としても尊敬できるし、自分のひどい部分もひっくるめて好きだと言ってくれるステキな人。でも、昨年彼からのプロポースを断ってしまった。結婚したくないわけではないけど、「愛がわからない」から。母子家庭で育って、母から沢山愛をもらい、私も母を愛している。この母に向ける「愛」が「愛をする」ことの「愛」だとすると、そこまで他の人を愛せない。今も彼がとても好きだけど、この「とても好き」が「愛をしている」ということかどうかわからない。また最近結婚を口にする彼。「愛」というものの定義に確信が持てないまま結婚していいものなのか、悩んでいます』


< 愛は、恋から愛へ変わるものだと思う。恋は「気になる」「ちょっと触れたい」「会いたい」っていうような可愛いもので、愛はもっと確信にみたいなもの、あるいは、確信のような硬く重いテーマすら感じないようなもの・・生きることじゃないかと思う。
この方はマジメな方だからいろんなことを考えちゃって不安なんだと思う。育ててくれたお母さんに対する「お母さんを安心させてあげられる人を選びたい」という気遣いや、お父さんというもののインプットがないこととかが、家族というものや愛に確信を持つことを難しくしているんじゃないかと思う。それは行ったことのない国のことはよくわからないのと同じで仕方のないこと。
是非、「自分はどうしたいのか」、「結婚したいのか」、「結婚するならこんな家庭を築きたい」とか、まずその自分の感情と向き合って行ってほしい。そうしたら自ずと
「この彼でいい」か「この彼じゃないのかも」とか、その他にもいろんな考えるべきテーマが出てくると思う。それが出てくる度に、自分の心のドアをノックしてずけずけ入って行って「どうしたいんですか?」って自分に訊いてあげるのがいいと思う >


今は情報過多な時代だから、雑誌・TV・ネット、どこを覗いてもいろんなことを定義したい人で溢れている。でも、特に恋愛に関しては誰かの「型」を借りても、しっくりとは来ない。私は「私」という唯一無二の存在だから、「愛」の定義はきっとひとりひとり違って当然なのだ。そしてそれは、時間をかけて自分と向き合うことでしか見えてこない。「答え」だけならそこいらにいくらでも転がっている。でも、それは所詮他人のもの。


以前、友人の失恋談を聞いて心底驚いたことがある。彼女が2年近く付き合って別れたその彼氏は、遠距離恋愛だったのにも関わらず電話もメールも一切「嫌いだから」という理由で拒否。でもそれに業を煮やして彼女が押しかけて行くととても嬉しそうに歓迎するのだそうな。で、彼女が「なんで普段声すら聞けないの?そんなのおかしい!」とキレると、「ボクは話さなくても分かり合える両親みたいな以心伝心の関係が理想だから」と答えたのだそうな。ひー。
それは何十年という年月を重ねた夫婦だからできること。電話ですら話しをしない相手とどうすればそんな芸当ができるようになるのだ。「こいつはダメだ」と、その一言で彼女は別れを決めたと言う。


という以後結構な笑い話となって友人間に語り継がれている話と一緒くたにしてはイカンのだが、このメールの女性の言ってることもちょっと似たところがあると思う。
だって、26年苦楽を共にして暮らしてきた母親と同じように他人を愛すのは難しくて当然だもの。まず「恋」から始まったその関係は、いろんな出来事を共にシェアしながら長い年月をかけて別の形態や感情へと変わってゆく。その結果として見えてくるもんなんじゃないのかなあ、「愛の定義」なんて。


吉本ばななの小説に「ハチ公の最後の恋人」というのがある。奇妙な環境で育った彼女と彼(ハチ)が運命に導かれて出逢う。が、彼はインドへ行き出家することが決まっている。そうなったらもう二人は二度と会うこともない。淡々と一緒に暮らすうちその日が近づき、最後の温泉旅行に出かけた先で、彼女は初めてこんな気持ちに襲われる。
「ハチが夫になったり、お父さんになったり、日本で中年になってゆく背中を見てみたかったな」
そして、今回のオープニングで剛さんが、誕生日に家族とみんなですきやきを食べたら、お母さんが「みんなでごはんを食べるとこんなにおいしいねんなあ」と言った、という話をした。


要はそういうことで、この小説や剛さんのお母さんのセリフが全てなんじゃないかと思う。そんな風に思える相手ができた時結婚するのが自然なタイミングだと思うし、結婚というものも単なる生活の一形態であり、ずっと一緒にいたいと思うほど好きな人ができた時の生きていく形の選択のひとつにすぎない、くらいに考えておくといいんじゃないのかな。愛の形が人それぞれなように、結婚の形もまたそれぞれなのだと思う。(と、これは私の答え)


周りに流されないで自分の人生を生きるには、とにかく自分と語り合うしかない。剛さんがずっとそうしてきたように。