Fashion&MusicBook 34歳の春だから♪


今夜の剛さんは、34歳になった自分の考えていることを語っていました。


<自分がこうと決めて全てを思い通りに動かしてここまで来たわけではない。しがらみとかルールとか誤解とか、優しさを持てば持つほど歩く道は困難になった。でも今34になって、余計な優しさみたいなものを捨てながら物づくりに励んでる>


<(剛くんは、10年前自分で思っていた自分になれましたか?という質問に対し) なれてない。僕のやり方もあるんだろうけど、優しさを持ちすぎたかなと思う。嫌われてもいいから、突っぱねるというか、わがまま、傲慢がもう少しあってもよかったかも。それがなかったら今の出会いがあったから後悔はしていないけど。
こういう風に歌うとこういう立場の人が傷つくとか思って、言葉を選べば選ぶほどすごく広い歌になって、ピンポイントに届かない。本当にその状況にならないと歌詞が理解できないとか、遠まわしな伝え方になったりする、そういう優しさが多すぎるのかなと。最近レコード会社の人にも「そんなに優しくなく歌詞を書いてもいいんじゃないか」と言われたりもして、これからはそこがポイントになるのかもと思う>


なるほど。剛さんはこうやってどんどんと変わってゆくんだな。
これまでの「遠まわしな優しさ」も、その時々の剛さんの思う優しさだったわけだけど、それは彼自身の人間的な成長や時代の流れによって少しずつ表現方法が変わってゆくのが当然なのだと思う。「街」から始めて、コツコツと自分の世界を切り拓いて10年。34歳の剛さんに見える風景や心に響く言葉がどんなものか、ストレートな「剛的優しさ」というものがどんなものなのか、shamanipponの新譜がますます楽しみになる。


<当初の予定では、今頃日本にはいなくて海外に住んでる予定だった。海外に住んで自分の生きたいように生きているっていう。そこで何をしているかはわからないけど。日本が好きだし日本に住むっていうのもあったけど、外から日本を見るとか、日本を伝えるみたいなことを僕はしたかったんだと思う>
<これから10年後、何してるかわからない。自分がそうしたくなくてもそうなっていくものもあるし。自分で人生の設計図を昔は立ててたけど、今はあまり立ててない。どんなでも、どんな職業でも自分らしく生きていればいいと思う。奈良の山奥か、海外か・・人生は考えようだから>


今、相変わらず日本にいる剛さんと、海外に住んでいる剛さんのどちらが幸せだったかなんて、誰にもわからない。海外に住むのが運命なら、たとえ奈良の山奥に引っ込んでもなんじゃかんじゃあって、気がつくとパリのド真ん中に住んでたりするんだろう。それが運命だと思う。そして、どちらにもそれぞれの苦があり、楽があるのだ。ほんに人生は考えよう。


剛さんには外から見える日本を是非見て欲しいと思う。そこにどんな空が広がったのか、見て感じて湧き上がったものを聴かせて欲しい。客観的に見ることで、美しいものはもっと美しく見える。でも、かえって苦しくなることも沢山ある。そんなジョン・レノンのような経験を経た剛さんの「優しさ」は一体どんな風に表現されるんだろう。


私にとっては剛さんが「外から日本を見る」大きなきっかけだった。元々「和」なものは大好きだったけれど、それを自分の中できちんと考え、形にすることはしたことがなかった。剛さんに出会ったことで、彼がそのモチベーションとなり、彼の目をフィルターに、あるいは彼という人を依り代として、自分を形作ってきたいろいろなものを改めて見直すことは、とても楽しくエキサイティングなことだった。


・・・なーんて、いかにもブログ閉店しそうですけど、剛さんが面白すぎてまだ閉められません。悪しからず、今しばらくお付き合いくださいませ。かしこ。