Fashion&MusicBook 空白の力


メキシコ人のジャスミンさんからのメール。
<「私が日本に来たのは剛さんのにありがとうと伝えたかったからです。メキシコにいた時、剛さんの音楽を聴いた。言語が分からなくても音楽が素晴らしくて、何度も救われました。剛さんの音楽があったから試練を乗り越え、日本語の勉強を始め、留学することができました。心から感謝しています」>


<こんな風に「言語はわからないけど、なんかいいね」っていうのは理想。日本人ってどうしても歌詞重視で、いいことだとは思うけど、「日本人がどんな音楽を聴くべきか」って考えた時、あんまり親切すぎるのもどうなのかな、とかいろいろ考えてしまう。


例えば「結婚はゴールではなくスタートです」というような誰にも使い古されたフレーズがウケがよかったりする。何か違う言い方をすると、耳慣れないから複雑に思われる。複雑なものを理解したいと思う気持ちがある人ってなかなかいなくて、自分で紐解いていく愉しみよりも、皆がガヤガヤ集まってる方に行きたくなる人が多い。いい悪いは別として。


自分が音楽を始めたきっかけは、「言葉にもならない、行動にも起こせない、この気持ちは何なんだろう」っていうのを救ってくれたのが音楽だったから。その感謝を込めて音楽をやる時には、なるべく要らないブレーキはかけずにアクセルをゆっくり踏みながら前に進みたい。そんな葛藤がある中でこんなメキシコの方から「助けてくれてありがとう」なんて言われたら、本当に嬉しい。その一言で僕は救われる>


剛さんのつくる詩のいいところは、時に難解とも思える部分が与えてくれる「空白」だと思う。理詰めではない、「だから」で繋がらないフレーズとフレーズの間にある、余韻をたたえた空白。そこに聴き手が自分の心象風景を重ねた時、それはその人にとって「大切なうた」になる。よく言う「想い入れ」なんていうのは、そういう「空白」に巣食うモノのことだ。


でも、実は私は元々「メロディーありき」なタイプ。普段、洋楽が好きで聴いてはいるけど、大好きな曲の歌詞でも知らないものも沢山ある。メロディーと、そこに乗る言葉の響き+歌い手の声(ルックスも好みならなおよい。ほほ)、なんてものが「しっくり」きたら、歌詞の意味なんて知らなくてもいい。好きなものは好き。
その言語を知らないということは、逆に「知らない」という、その広大な空白で、アーティストが曲に込めた想いを先入観なく感じることができるということでもある。そうやって、「空(そら・くう)」が心象風景を映し出すように、声にせよ楽器にせよ「音」というものにも、言語を超えて訴える「力」があると思う。


日本のレコード会社が、国内オンリーで新曲のPVを視聴できるようにしたりしているのを見るけど、あれは本当にもったいない。いろんな権利の問題なんだろうが、海外のアーティストのようにYoutubeとか使って全世界にプロモーションをかけることをもっと普通にやったらいいのにと思う。「言葉の壁」なんて本当に瑣末なことなんだから。


そういえば、先日日本のTV番組を観ていたら、スペイン人でKinKi Kidsの大ファンという女子が出ていた。で、このジャスミンさんもスペイン語圏の人。そこに傾向と対策、需要と供給のありやなしや。スペイン語圏って何故か日本のアニメを放映する時、日本語の主題歌をそのまま流していたりするんだけど(他の国は勝手にオリジナル曲を作ることが多い)、それで日本語に対する感性が育ったりするとか。しないかな(笑)。