きくちP、「口パク」廃止


きくちPのブログ「音組収録日記」での発言が話題になっている。


<『MUSIC FAIR』は去る2月6日の会議・全会一致で『僕らの音楽』『堂本兄弟』同様「口パク」を受け入れないことを決めました。
多くの視聴者がカラオケや口パクでも一向に構わないと思っている事も、十分把握した上で多くのゲストを擁する音楽番組としては、画期的な取り組みに挑みます。
歌手であるからには、フツーに歌えることが絶対条件だと思うので>


しかし、一体いつから日本の音楽番組は「口パク」OKが当たり前になっていたんだろうか?2年半くらい前にKinKi Kidsを知るまで20年近く日本のTV界とご無沙汰していた私には、その辺の流れがよくわからない。そういえば昔、少年隊は歌ってたけど光GENJIは歌ってなかったとかそんな話はあったような・・。話が古すぎますか、そうですか。


ま、でも「カラオケ」「口パク」は、TV局と各事務所の方々の決定で生まれたもの。視聴者はそれに慣らされただけであり、今またそれが彼らの都合で元に戻る、というだけの話なんじゃなかろうか。ひとつ番組が当たれば他の番組が皆それに追随するから、個性のない番組ばかりになり、飽きられていく。その結果である「音楽番組冬の時代」の今、他の番組との差別化を図ろうとした時、『「生歌にこだわる」ことがニッチ』という結論が出たということだろう。
それとも、なにか余程腹に据えかねることでもあったんだろうか、きくちP。


私的には「口パク廃止」は、正直どうでもいいかな。そういう「歌手」を好きで観ている人たちにとって、歌のうまさとか正確さというのは元々あまり重視されていなかったと思うし。これで「口パク」だった人たちが生歌うたうようになるっていうシンプルな話なだけで、日本の音楽界の本質的なものは何も変わらないんじゃないだろうか。番組による「棲み分け」のようなものはできると思うけど。


生歌しかなかった昭和の歌謡界を思い返してみても、下手な人は下手なりの需要があった。その「下手なのも味のうち」という日本の伝統的な美学と、「歌ってるうちにうまくなってきたわねえ」という成長を見守るお茶の間的楽しみ方の融合が今のJ-POP界をつくり上げたわけだし。そう考えると、「口パク」はその日本的な楽しみ方を奪ったということに対しての罪を問われ滅びていくのかもしれない。


最近ではアメリカや韓国でも「口パク」が随分と糾弾されているようで。彼らは元々テクニック重視の文化圏だから、そういう「ズル」を許さないんだろう。
それに対して日本の音楽センスって、「テクニックより味」のフランスやイギリスに近いと思う。たとえ歌や演奏が下手であっても、その味や佇まい、スタイルを愛する、という文化の成熟の形として。


ただ、「いい歌をじっくり聴ける歌番組」というのが、ニーズの多様化とか言って実は一番放置されていた分野な気がするから、そこをきっちりやってくださるのなら、視聴者としては嬉しいところ。期待してます。