Fashion&MusicBook 「スマホを捨てよ、森へ行こう」


「つよしさんにとって母親の味ってなんですか。私はおにぎりです」というメール。


<おにぎりっていうのは、昔、旅に出る人へ握られたもので、「道中気をつけて。無事に帰ってきてくれますように」と想いを込めながら握ってる。おにぎりの原点は想いだと思う。
そういうものが今は大量生産されて減ってきているのが、Shamanipponを始めようと思ったきっかけ。音楽のことだけじゃなく、人のぬくもりとか愛情がどんどん減ってきている。自分の中にある想い、想像すること、伝える努力とかを取り戻していく日本になればいいな、という想いをこめてshamanipponというプロジェクト名をつけた。


なんでも大量生産、インスタントの時代。今は、心だけが置いてきぼりで、頭だけ先に行ってしまう「頭を使う時代」。僕がラジオを大事にしているのもそこ。ラジオは映像が見えない分、頭と目じゃなくて、耳と口とか鼻、嗅覚、そういうものを刺激していくかんじがいい。心じゃなく頭を使う時代の中で、心を使う時間を増やしながら、ご飯食べたりお洒落したり恋愛して過ごしながら、何かにトライする、そんな生活も意外に楽しくて面白いと思う。ぼくは何年もかけてそういう生活に持っていった。最先端なものは便利だけど使わなくてもいい。進み過ぎてる自分を嫌だなと感じていれば、進まなくてもいい>


ふと思い出したのが、私の住む町にある、暗闇の中で食事をするレストランのこと。
完全に光を排除した真っ暗闇の中で手探りで食事をするのだ。自分の触覚、嗅覚、聴覚、味覚をフル稼動させて、旬の料理を愉しむ。
私たちの味覚というのは、思いのほか視覚に影響を受けており、「それを遮断することでその食材の風味を純粋に味わう」、ということらしい。確かに家でTV観ながら食事してたら本当の意味で味わってなどいないだろうし、見ているから「あ、これはニンジンだ」とわかってるからニンジンの味がするだけなのかもしれない。実際、暗闇の中では、自分が食べているものが何なのか、肉か魚かすらわからない人も多いそうだし。


東京でも「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントが毎年不定期に開催されている。(現在も開催中)
サイトには、「鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温。水の質感。足元の葉と葉のこすれる枯れた音、その葉を踏みつぶす感触。仲間の声、乾杯のグラスの音。視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出すソーシャルエンターテインメント」とある。
ここでは、入口で時計やスマホ、携帯電話などは全て置き去りにする。まず心を縛っていたものをほどき、暗闇によって視覚の与える先入観からも自由になることで別の「目」が開き、そこでやっと五感の全てが解放される。


スマホを手にiPodを耳に、においには消臭剤を、土は汚れるからアスファルトを歩き、人とはできれば距離を置きたい。「心じゃなく頭を使う時代」の現代人には、自然の音やにおいを感じることだけでなく、不安を感じたり、見知らぬ他人とコミュニケートすることすら、人工の暗闇の中でならエキサイティング!ということなのか。
普段見えている状態で何も感じられないものが、視覚を奪われる擬似体験によって「気づき」に溢れた癒しのエンターテインメントになる。なんともシュールで皮肉なものを感じてしまう。


もっとも、このイベントもレストランもルーツは同じ。どちらも、視覚障害者に仕事を与えること(暗闇の中を案内するスタッフやウェイターなどは全て視覚障害者)であり、その世界を共有することで理解を深め共存の道を探る、ってなところにあるわけなので、あとはどうアレンジされてもいいわけなのだが、「五感を働かせる」ことが現代の日本で大人気のイベントと言われると、なんだか考えてしまう。


スローフード、スローライフ、なんてことが言われて久しいけれど、一体私たちは本当にそれを望んでいるんだろうか。ノイズに囲まれて自分の声もよく聞こえない状態では、ひそやかな自然のささやきなど聞こえるはずもない。
「書を捨てよ、町へ出よう」じゃなくて、今は「スマホを捨てよ、森へ行こう」だね。