Fashion&MusicBook お悩み相談


今夜はいろんな「愛」に関するお話や人生相談のようなお話が多かった。
その中に、「人間関係で悩んでいる」というメール。「学校でも一人で過ごしている。一人でも大丈夫と思っていても、ふとした時に泣きそうになったり、人の目が気になってお腹が痛くなったりする。それを克服するのは自分が強くなるしかないと思う。自分をしっかり持って強い人になるのはどうしたらいいのか」。


<人はそれぞれ。人間は何かを共有すると楽になる。自分と同じような匂いの人と友達になるとか。何かを克服するために自分を変えようとすると空回るから、いい具合に諦めるというか、自分を認める。「オレはこうや!」「しゃあない」と生きてくのが一番強い>


私には子供がいないので、実態は周囲から聞く話ばかりだけど、今の10代20代の人たちは大変だと思う。とにかく情報が多すぎる。ネットを初めとする様々なメディアから溢れてくる「声」に晒されていると、その声にかき消されて自分の声が聞こえなくなってしまうから、迷うことが多いんじゃないかな。


特に中高生とかまだ親元にいる年頃だと、家庭と学校の他にあまり逃げ場がない。それが世界の全てだから、そこに居場所がないと感じた時の孤独感は大きい。これは自分も同じだったからわかる。
ただ私は、根が楽観的で雑な人間なので、いつも「ここではないどこか=自分のような人間を皆が暖かく迎えてくれる極楽のようなところ」があることを信じて、あまり心から悩んではいなかった(ええ、バカとも言います)。実家を出て好きな事をしながらあちこち移動するうちに沢山の「同じ匂いの人たち」とも出会えた。でも、どこに行ってもやっぱり大変。なんかしんどい。そこでやっと気がついた、どこに逃げ込んだところで、「自分のことを好きになってくれる人とくれない人」の割合は同じなんだ。県外、そして国外へと身を移してもそれは何も変わらなかった。これはもう開き直るしかあるまい。やっと肩の力が抜けた。


もちろん、剛っさんは全く別のルートを辿ったわけだが、やっぱり自分で経験を積まないと「諦め」なんてつかないもの。だから、大変なのだ。
今こういう悩みを持つ子たちは自立心も強いのだと思う。だから一人で抱えて一人で悩んでしまう。強くなって誰にも迷惑をかけずに解決しようとしてしまう。


この間ある方のブログで、「弱いロボット」(岡田美智男:著)という本に登場する、ゴミ拾いロボットの話を読んだ。
そのロボットは自分でゴミは拾えない。本体に組み込まれたカメラが捉えたゴミへ向かいよろよろと歩いて行き、それを見た人がそのゴミを拾って入れてあげると会釈をする。これまでの「一人で何でもできてしまう自律的なロボット」ではなく、「一人では何もできない、でも誰かのアシストがあればできるロボット」だ。


彼は、若い頃自分のやりたい仕事だけをするため会社を辞め独立した。その時に感じたひとりの無力さ、人と繋がることの大切さをこのロボットに重ねる。一人で全てを背負うのではなく、自分以外のものを信頼すること。自分の外にあるものに委ねる、ということが自分の可能性を広げてくれる。
『自分だけの能力向上にこだわりすぎると(大切なものを)見失ってしまう。つながっていくためには「弱さ」や「できないこと」はチャーミングで大切なキーとなる』。


依存でも妥協でもない「繋がり」。
よく言われる「他人に迷惑をかけない」という言葉は、現代ではいつしか「私はあなたに迷惑をかけないから、あなたも私に迷惑をかけないでね」といった、他人との助け合いや繋がりを拒否するような意味になってしまった。まだ何の経験もない子供たちがそんな風に突き放され、そのプレッシャーから来るストレスが彼らを追い詰める。
だから、この辺で発想の変換をして、昔のような「持ちつ持たれつ」な社会に戻れないものだろうか。迷惑をかけたりかけられたり、何事もお互い様だからと赦し合いながら繋がるコミュニティーを取り戻す。それが「未来へ戻る」ということなんだと思う。