Fashion&MusicBook 「もののあはれ」のクリエーション


昨夜のFashion&MusicBookで、ファンの方からのこんなメールが紹介された。


< shamanippon shipが終わってから3ヶ月ぶりにship跡地へ行ってみたら、建物も無くなって、すっかり運動場に戻っていた。でも景色が変わっても、あの場所は、沢山の方と出会え仲良くなれて、沢山笑ったり泣いたり、ライブで剛くんやバンドメンバーさんとひとつになれた思い出が沢山詰まった場所。あの頃悩んでいた私に、一歩前に踏み出すキッカケをくれた大切な場所でもある。ship前とship後で、自分の気持ちの持ち方が少し変わった気がする。出会いの場を作ってくれた剛くんに改めて感謝。 >


それに対して彼は、こんなことを語ってくれた。
< 僕は、建物があってそこで何かをやるっていうのは、やり方として何か古い気がしてたんですよ。ずっと何年も前から。もっとアート的なのは、それをやるためだけに建物を建て、終わったらもう何もなかったかのように消えていく、っていうのがちょっと面白いな〜、なんて思って。そこから、ENDLICHERIのタンクっていう物が始まってったりしたんです。


それくらいのメッセージじゃないと人が聴かないっていう時代でもあるなと思ったんですね。終わったら何もなかったかのように消えていく。でも、自分の胸の中にはずっと残っていく。最終的に「そこ」におさめてもらうためのクリエーションっていうか。本当に無くなってしまうからこそ、本当に無くなっちゃったなぁ、とか人にいろいろな気持ちを呼び起こさせる。クリエーションとして、「あった物が消えていく」っていうのは非常にいいなぁ、なんて思って。


来年もshamanippon shipを是非ということで言ってはくれてまして、あとはまぁ色々様々なことが・・この色々な様々な事が一番大変なんですけど、これが上手く整えば、ぽんって発表出来ると思います。どこに流れ着くか分かりませんが、この
shipが流れ着いた所で、是非皆さんとまたshamanipponを楽しめたらなと思っています >


剛っさんらしい発想だなあと思う一方、それは日本人らしい発想だとも思う。
私たちの紙と木の文化は、何百年何千年も残る石の文化と違い、雨風に朽ち火に焼かれ、いとも儚く失われていく。その中で培われてきた「もののあはれ」という考え方。人も自然も生まれ死に朽ち土に返ってゆく。人も物もいつかは失われる。だから美しく、愛しい。


現代のテクノロジーはなんとかして失われていくものを永遠のうちに閉じ込めようとしているみたいだ。カメラやビデオで撮ったものをダウンロードし、小さなメモリースティックに「永遠に」保存する。
でも、それが過ぎると大切なものを忘れてしまいそうな気がする。私があの日立っていた平城宮跡の上では一体どれだけの人生が営まれ、そして失われたのか。もうほどんど朽ちかけているこの仏像はどれだけの人の想いを受け止めてきたのか。時の彼方へ消えゆくものを目の前にし、どんなものもいつかは失われる、ということを経験することが、人や物を慈しむ気持ちを生むんじゃないだろうか。


建物が消えても、人の記憶は消えない。消えたことで想いはより鮮やかに深くその胸に刻み込まれる。その「もののあはれ」を表現することが、剛っさんのクリエーションなんだと思う。