Fashion&MusicBook 「ソメイヨシノ」


「むくのはね」ですっかり浮かれて、その前に書きかけたFashion&MusicBookの話があったのをきれいさっぱり忘れそうになった。


「50代のつよ友さんが亡くなった」というメール。
<剛くんがお母さんを思って歌った歌だからということで、彼女の息子さんたちがお葬式で「ソメイヨシノ」と「縁を結いて」を流した>というお話から、剛さんがよく話してくれる「ソメイヨシノ」が出来たエピソードを。


<家族と春に桜を見に行くイベントを始めてから2年目くらいだったか、母が「あんたとこの桜、あと何回くらい見れんのかなぁ」って言わはった。それが、もう苦しくて、背中を見るような形でその言葉を受け止めた。桜が風にパァ〜っとさらわれるように花びらが舞って。
「何いってんねん」くらいしか言えなかった。親にそんな風に言われる日が来るとは想像してなかったから心の準備ができてなくて、その言葉を言った時、僕という子供を想う気持ちと同時に、天に昇っていった両親のことを想ったりしてたんだろうなっていうような、何分間だった。
お母さんもやっぱおじいちゃん、おばあちゃんの子供だから、お母さんなりに命っていう意識をしてるんだろうな、って。だから、どうしてもどうしても、なんかこう行き場がない感情、それを音楽にしようって「ソメイヨシノ」っていう曲を作った>


最近、私も身近に「死」を想う出来事があったので、改めてそこでかかった仙台でのライブ版「ソメイヨシノ」(アルバム「NIPPON」収録)を聴きながら、ぼんやりと「私はその時が来たら死を怖いと思うだろうか」というようなことを考えた。
私はまだ自分の死をほんとうに身近に考えるような経験をしていない。祖父母は皆90歳を越え、天寿を全うして亡くなったので、会えなくなるのは悲しかったけれど、あちらもこちらも思い残すことはなかったようにお葬式も和やかだったのもあり、あまり深く考えることもしないで済んでしまった。


血の繋がりだけでなく、「大切に思う人」というのは私の人生という「記憶」を共有している全ての人だ、とよく思う。私は親不孝なムスメなので、18の時親元を離れてからはほとんど家族と暮らしたことがない。かと言って仲が悪いわけではない。多分そういう縁なんでしょ、と超ドライな母は言う。
そしてその分、幾人かの「他生の縁」が余程濃かったんだろうな、というような友人を得、彼・彼女らと積み上げた人生の途中で夫と出会い、そして剛さんを知り、そこからまたいろんなご縁が繋がった。


♪あの出会いこの出会いすべてがこの僕を形作ったディテール♪というKinKiの曲そのままに、私という人間はその幾多の出会いによってなされた経験の、いわば記憶の集合体だ。そして、年をとるということは、その記憶が増大していくと同時にその記憶を共有した人たちを失ってゆく、ということでもある。共有することでいつまでも繋がっていると思っていた人を「死」という形で失くすのは、なんだか自分の身体の一部を失うようでもある。そういうことが、今この年になってやっとわかってきた。


剛さんのお母様は70代くらいでいらっしゃるのだろうか。きっとこれまでに沢山の、自分の分身のような「大切な人たち」を見送られてきたのだろうと思う。そして、逞しく今自分の足で歩いている息子に「あんたとこの桜、あと何回見れんのかなぁ」と言った時、彼女の心に寂しさはあっても、いつかやってくる「死」の恐怖はなかったんじゃないだろうか。
それが自然の摂理というものなのかなと思う。「向う」に会いたい人が沢山いればいるほど、生きている間に愛した人が沢山いればいるほど、生きるほどにこの世に残す想いは少なくなり、そして死への恐怖は薄れてゆく。これは宗教観というより、もっとプリミティヴな何か、なのだと思う。


剛さんの「ソメイヨシノ」は、そんなことを想わせた。