現代の紫式部たち 「少年コレクション」


今日twitterでこんな記事を拾った。
何かの雑誌に載った記事のほんの一部。日付も何もわからない。内容から察するに、剛っさんがソロ活動を始めたばかりの頃だろう。CDリリースの後か、ソロコンの後か、そんな風に読める。


このところ、「KinKi Kidsはソロ活動中心になるの?」とか言われるけど、それはない。ミュージカルの初日の前の晩に、相方にメール送ってん。「KinKi Kidsの名前を汚さないよう、いい成績残せてちょっと安心しました。そちらも大変やろうけど、頑張ってください」って。そしたら夜中の3時半くらいに、「今帰ってきました。大変だけど、好きなことだから頑張ってやります」って返事がきた。
メール読んで思ってんけど・・・彼も、ひとりでやろうというジャンルとKinKi Kidsとして2人でやろうっていうジャンルとを持ってんねん。2人でやる部分しかないと、どうしても折れないとあかんことが出てくるやん?そればっかりやとKinKi Kids自体がダメになる。自分を貫き通して、ひとりで闘って闘って闘い抜いて、多くの人に感動を与えて、与えてもらう。そういう世界を持つことがKinKi Kidsを大事にするいうことにつながるねんな。


先日のエントリーでも書いた「キンキ不足」で、ファンの間では不安をぬぐい合う、こんなツイがやり取りされているんだろうと思う。剛っさんがことあるごとにそれを否定し、口癖のように「KinKi Kidsを大事にしたい」と繰り返さなくてはならない状況は、もう10年前から始まっていたのだ。


ただ、私はそこにも書いたとおり、ソロに力を入れる=解散ではなく、あくまでも「継続のためのソロ」と思っていて、この記事で思いがけず本人の口からそれを裏付けるコメントがあったことを知れて、ものすごーく嬉しい。
この辺りのことを、実は「少年コレクション vol.1」という5月・8月に文学フリマで販売された同人誌に寄稿しました。今後通販もされるようですので、ご興味のある方は下記へお問い合わせくださいませ。(8月のフリマ、日程を勘違いしていて告知できず。スミマセン。。)
twitter → @boys_collection
blog → http://d.hatena.ne.jp/boys_collection/


こういう同人誌やtwitterを見て面白いなあと思うのは、さまざまなツールを使って自ら「自担」を紹介していこうとしている人たちが沢山いること。それぞれの思う「こう見たらもっと楽しめるよ!」を発信して、一人でも多くの人にそのスバラシサを紹介しようとしてる。そこには、数字が羅列される「最大公約数」を求めたマーケティング理論もなければ、クライアント絡みの力関係や損得勘定もない。あるのは、ただひたすらに、「好きだから」紹介したい、語り合いたい、分析したい、という衝動のみ。そのアクションは自担だけにとどまらず、ジャニーズというもの、アイドルというもの、へと広がってゆき、ひいては恋愛感、自己探求、現代社会なんてものへの考察にも繋がってゆく。


そういえば以前twitterで読んで、へ〜!と思った話がある。
ある日本の伝統芸能を専門とする研究者の方曰く、『「舞楽は本来若くて美しい青年がやるものだ」という考えに基づいて、当時超絶的に輝いていたSMAPに本式の舞楽を舞ってもらい、光源氏と頭中将の「青海波」をジャニーズで再現したいという企画を考えたことがあった』。『そういう「なんだかすごくみずみずしい感じのキレイな生き物がキレイな装束を着て目の前をゆるゆる動いている」のをぽかんと口あけて眺めているのが、本来の舞楽というものの楽しみ方だったのだと思う』とも。
(映画『源氏物語 千年の謎』で生田斗真がその『青海波』を舞っているらしい)


となると、ジャニーさんは日本文化の正しい継承者であり、華麗に舞い踊る美しい男たちをウットリ眺めるだけでなく、ハイテクを駆使してこつこつとデータ構築をし、物語を紡ぎ出す「アイドルヲタ」の乙女たちは、さしずめ現代の紫式部。綴り出されたものは、単なる二次元の妄想などアッサリ凌駕し、3Dのリアルな像を結ぶ。レーザー光線とスパンコールのきらめきの下に集う乙女たちは、今も続く「源氏物語」の語り部なのだ。


<独り言>私が10代の頃は「明星」と「平凡」しかなかった(泣)。パソコンなんて影も形もなかったし。だから今、またこんなところにドップリハマっているのは、ある意味リベンジなんだろな。そうだろな。きっとそう。
※女子の語る女子アイドル論というのはまた違う構造があるような気がします。私にはよくわからないので今後の課題とします。(笑)