河瀬直美監督@ロカルノ映画祭 ②


JMF : 「塵」や「萌の朱雀」などで、以前に撮った作品の中の映像を新しい作品の中に綴じ込む、という試みをしていますね。そのことについてお話しいただけますか?


河瀬 : 過去というものが今に存在すること。それは記憶とすごく結びついていることでもあります。私たち個人個人が、例えば歌を聴いて5年前を思い出したり、またある風景に出会った時に10年前を思い返したり、自分の心の中に「過去」を持っていますよね。それは思い出と名を変えて存在しているもので、私はそういうものが自分自身を形作っているもののひとつであると思っています。
その人のキャラクターを表現する時や、そのシチュエーションを表現する時に、よく過去の映像を使います。フィクションでもドキュメンタリーでも、ひとつの写真が残っているのなら、映像というものを使って思い出を表現します。でもその思い出というのはひとりひとりバラバラですよね。ひとりはそれを緑色と記憶しているかもしれないけど、もうひとりは青色と記憶しているかもしれない。でも、映像の場合は青を撮れば青でしかない。大きな木を撮れば大きな木でしかない。実は非常に現実的なものなんです、映像っていうのは。そしてその現実的なものから、思い出を想起させるような、思い出を思い返させてくれるようなものを作ることで、皆さんと同じ感覚を共有することができるんじゃないかと思っています。


JMF : 時々、河瀬さん自身が映画に出演していますが、それはどういう意味があるんでしょうか?


河瀬 : 私が存在しているというのは私の主観なんですが、それを客観的に見るということで、より自分自身を見つめようとしている行為だと思います。


JMF : 「きゃからばあ」についてお話しいただきたいんですが。そこにも河瀬さんが登場するんですが、そこにはまるで自分の存在が檻に閉じ込められているような凄い苦しみの表現があります。私は過去に観た映画の中に、自分のことを描くのにあれほどに苦しんでいるシーンを他に観たことがありません。


河瀬 : ん・・・そうですか・・?(笑)。実は「きゃからばあ」がロカルノで上映された時、リベラシオンか何かの新聞に「河瀬直美は狂ってる!」という題の記事が書かれたと記憶してます(笑)。それだけ自分の苦しみを表現したことに対して、「狂ってないとできないんじゃないか」というような意味で、それはひとつの賞賛かもしれないけれど。自分にとっては・・・生きることは本当に辛いなあ・・・って思っていた時期だったし、それを何とかしてマイナス方向に捉えないでプラスに捉えていこうとすることでもあったので、「ま、死ぬよりはいいだろう」っていう・・・(笑)。死ぬよりは映画を作るほうがいいんじゃないか、っていう感じの時でしたね。
その作品は明日上映されます。狂っている私を見てください(笑)。10年前のことですが。


JMF : 撮影法、特にどんなカメラを使うかというのは、あなたにとって大切なことですか?


河瀬 : 最近の映画で「玄牝−げんぴん−」という作品がありまして、出産をテーマにした作品ですけど、4人の妊婦さんに、本当に今まさに赤ちゃんが生まれる瞬間に立ち合わせてもらってます。
今度10月にパリで公開されるこの作品は、撮る時に、ドキュメンタリーなのでやっぱりデジタルで撮った方がリスクも少ない、60分テープが入っていて、つまり撮りたい時に撮れるんですが、私は敢えて16mmフィルムで撮影をしたんです。それは10分間しか回らない。しかも音と映像がセパレート。だからカチンコを打たないといけない。でも、そこには「10分しか撮れない」という「潔さ」があると思ったんです。
世界の全てを記録することはできないし、監視カメラによって記録することはできたとしても、表現に於いて24時間全ての人々の感覚を記録することはできないですよね。つまり、私たちがあらゆるものを、よりよく機能的に進化させているつもりでも、実はそれは人間の力を奪っている、人間の能力を退化させているということに繋がっているんじゃないかということを常々思っているんです。
ですから、人間の誕生の瞬間を撮る映画では、私は10分という潔さを引き受けて、自らカメラを手に撮影しました。そういう意味では、8mmフィルムとか16mmフィルムとかの良さっていうものが人間にとっても同じようにあるんじゃないかと思っています。便利さだけが人間にとっての良さをもたらすわけでは、ない。


JMF : さっき、「音と映像は分けて録る」とおっしゃってましたが、やはり音と映像は別とお考えですか?


河瀬 : 私の映画にとって音はすごく大事です。音楽で安易にシーンを盛り上げたりすることはあまりいいと思ってないですね。ハラハラドキドキする時に♪ジャンジャンジャン・・・とか(笑)。ああいう音楽を付けるとか、すごく安易。そうではなくて、音にも物語がある。その音の物語があって映像の物語とうまくクロスしていく時に、私たちは記憶の共有をすることができるんではないかと思っているので、音の編集にはすごくこだわります。


JMF : 会場の方で何か質問のある方はいらっしゃいますか?


40代くらいの女性 : 河瀬さんの映画を観てすごく感動しましたが、何故そんなに感動したのか、今日お話を聴いてよくわかりました。改めて、「目に見えないもの」についての河瀬さんの考えをお聞かせいただけますか?


河瀬 : そうですね・・、今の会話の中でも出ましたが、「言葉」とか「記憶」とか、いくつか私の映画を語る時のキーワードが存在していると思うんですが、「目に見えないもの」というのは、あなたが言ったとおり、いつも表現する時に私自身が気をつけているテーマのようなことです。
それと言うのも、もうこの世にいない人とか、この場所に存在していない感覚とか、そういうものは言葉を発しないし、直接的に働きかけてくるわけではないけれど、私の心の中にちゃんと存在していたり、私の心を揺さぶったりすることがあるんですね。おそらく皆さんもそういう経験が・・目に見えなくても感じること、目に見えないものから強く突き動かされるような経験が、確かにあると思うんです。
私はそれを映像で表現できると思っているんですね。そして、そういったものに、人間はもう一度立ち返って、そして交流をした方がいいと思っています。


通訳の方 : (訳すのが)難しいですね・・・(汗)


河瀬 : (笑)難しいですね。


<続きます>