shamanippon 反省会


ふ〜、祭りの後のけだるさ。。二ヶ月盆踊り踊りたおしたような疲労感だわ。
て、私は後半は全く参加できなかったわけですが、毎日PC前にはりついて音漏れの音漏れ的なtweetに耳を済ませると言うのもなかなかに疲れる。ごくろーさん、自分。


バンメンさんたちも皆東京へ帰り(ステ様は4日に京都であるイベントのためまだ奈良らしい?)、次のレコーディングまでは各々のお仕事へ。多分、剛っさんも東京へ帰ったんだろうな。待ってる人がいるって言ってたしな。(笑)


オーラスのレポを読むほどに、そこに居合わせられなかったことが残念でたまらない。もし日本に居たなら迷わずShip出向いたはず。「やっぱオーラスは音漏れでいいから聴きたい=現場にいたい」と思う典型的な野次馬体質の人間なのだ。
tweetからも十分にその熱気は伝わってきたが、参加できた方たち全員が幸福感に包まれたその空気を、やはり現場にいて肌で感じてみたかった。私は幸運なことに初日の公演に参加することができたから、欲を言えばキリはないが、是非「1/41の音と41/41の音」、そして剛っさんの「1/41の顔と41/41の顔」を比べてみたかった。何がどんな風に変わったのか。その変化はどんな風に起きたのか。彼の瞳の中に、ギターの音色に、それを感じてみたかった。


ふと思いついて、あちこちから集めた当時の映像や音源をひとつひとつ辿って、彼のソロの10年間を追ってみる。「街」のPV、[si:]のレコーディング風景のピンと張り詰めた緊張感。孤独。そこから、一気にFUNK色に染まっていくE☆E時代。ここでも本来は明るく猥雑なイメージのあるファンクという音を鳴らしながら、スパンコールきらめく衣装の下にぱっくりと開いた傷口を隠してストイックなうたを叫ぶ彼がいる。そして、shamanipponへと繋がる世界観をより強く感じさせる剛紫の音。
今こうして俯瞰すると、「海辺のカフカ」のようなビルドゥングスロマン=少年の成長の物語に滅法弱い私には、堂本剛という人の物語はただただ興味深い。もっと早く彼を知りたかったと思うことはもちろんあるが、残念ながら2002年頃は、私がこちらで新しい環境にアダプトすべく格闘していた時期。自分のことで手一杯で、もし彼をTVで観ていたとしても、本当の意味で彼と「出会」うことはなかったと思う。


私は堂本剛という全10巻の小説があったとしたら、その第10巻しかリアルタイムでは読んでいない。当時のJ-POPがどんな様子だったかとか、KinKi Kidsはそこでどんな位置にいたのかとかだけでなく、社会背景がどんなだったのか、様々な彼を取り巻く時代の中でその同じ空気を感じることをしていない。
私が彼を知った頃、彼はどこかまだ自分に言い含めるような、周りに理解されない憤りを感じさせるような話し方をしていた。が、今思えば彼が「変わってゆく何か」に呼応してつくったとしか思えない「Family」、「縁を結いて」のリリースの直後に東日本大震災が起き、それが彼の大きな転機の最後の一押しとなったのは間違いない。私がリアルタイムで見たのは、彼の「幼年期の終わり」であり、次のステージに一歩を踏み出したその瞬間だったような気がする。


誰だったか仏師が「自分の仕事は仏様を作り出すのではなく、木の中に埋まっている仏様を彫り出してあげること」と言っていたけど、彼のやっていたことも、こつこつと自分を彫り出す作業だったんじゃないだろうか。Shipでの彼の、余計なものをそぎ落としたようなピュアな笑顔はそんなことを思わせた。
オーラスは見逃したけど、あの2012年のShipに居合わせることができたのは、まっこと野次馬冥利に尽きる。(笑)とにかくもう森羅万象に、ありがとうと言いたい。


さて、わたくし、明日から週末まで夏休みで、あまり電波の届かない山に篭って眼精疲労を治してまいります。唯一の楽しみはロカルノ映画祭を見に行くこと。丁度、奈良出身の河瀬直美監督が招待されて、新作の「塵」の上映とシンポジウムがあるので、チケットが取れたら(どちらも当日券のみなのです。どのくらい混むのかも全く予測不能)両方に参加して来たいと思っています。またそのことはここでご報告します。
よい夏を。