shamanippon オーラス前夜


前回のエントリーを書いて以来、なんだかもやっとしたものが脳裏にぐるぐる渦巻いていた。
堂本剛という人の生きている世界のルールと、私たちのジャニーズファンとしてのルール、そして日本社会で生きる日本人としてのルール。それらのビミョーに異なる「オキテ」と気持ちよく共生していくための妥協点てどこなんだろ、なんてことを考えていたら変なところにはまり込んでしまった。


あの「イエローカード」の出た翌日から、「お散歩」にはスタッフが同行し、物を渡そうとする人に注意をしたりしている、と聞いてこっちは「またコンセプトダウンじゃん」とガーッカリしているのに、以後剛っさんからは直接それについては一言もなし。
twitterには物を渡した「犯人」を責めたてるコメントで溢れ、バンメンさんたちにも気を遣わせてしまう事態になった。


剛っさんが何も言わないのはわかるような気がする。彼はファンを信用しているから、「露払い」なぞ付けずに、自主性に任せたまま「お散歩」を続けたい。物をギターにぶら下げられようが、髪に花をつけられようが、その程度のことは別にかまわない(ステ様も言っていたけど、それをするにも皆とても礼儀正しかったそうだから)。でも、ジャニーズのオキテとして「プレゼントは禁止」(と聞いたことがある)、彼としては声高に「そのくらいは大丈夫」ということも言えない。万が一誰かが怪我をしたりしたらスタッフにも迷惑がかかる。でも、せっかく初めてこうしてファンと交わすささやかなコミュニケーションを大切にしたい。そんな様々な人の立場を考え、彼の中でもいろんな想いがぐるぐる交錯することもあったんじゃないだろうか。。むむ。


なんてことを考えていたところに、今夜のF&MBでこんな話が。
《 本気で感謝してたら、いろんな人が助けてくれる。だからこういうことができるんです。今回のshamanipponではもうこわいものがなくなっちゃってるんですね。高いところぐらいで、怖いのは。あとは、なんも考えてないですね。自分に自信がついたとかじゃなくて自分の生き方が決まっちゃったんです。ファンの人と生きていこう、とか自分の人生のことを考えてる。会場に来て感動してくれる人のためにもっと幸せを与えられるように成長しようと精進する方が、なんぼか楽しいですよ。
ファンの人との間に信頼関係っていうのか、ナチュラルな関係っていうのをジャニーズに入った時から僕は一番求めてた。ナチュラルな僕を好きになってほしかった。テレビや雑誌のイメージを好きになってもらうのが大嫌いだった。それを演じるだけの能力も忍耐力がなかったから。ありのままをつらぬく忍耐力や努力は持っていたけど、理想を演じ切るということが難しかった。ラジオの力も大きかった。自分の思っていることを素直に話せるから。聴いてくれた人たちが集ってくれて、自分のありのままの音も鳴らせるし、歌えるようになった。
今回のライブは、距離が近いから、指先まで感じられる。僕の前の人は僕のギターの音が飛び込んでくる。今見てるものがリンクして飛び込んでくる臨場感が楽しいんだろうなと 》


今は「手の届かないアイドルである剛くん」を間近に眺めること、あわよくば触れてみることに皆が興奮しているけど、彼の目指すところはその段階を超えて、誰もが普通に、ナチュラルにお互いの存在を愛することができる場をつくること。この長期ライブは、そこに至る長い旅の最初の一里塚であり、「最初から完璧なんてムリやん。焦らないで気長にいこ」と言われているようだった。そっか、今回は「露払い」が付いちゃったけど、これでいいのだ。続けて行くごとに、彼の想いは聴く人の心に少しずつ浸透していって、「くに」が出来上がっていくんだね。←勝手に自己完結


さて、泣いても笑っても明日はオーラス。剛っさん曰く「悲しいかと思ったらめっちゃ楽しい♪」そうだけど、やはりここは剛号泣にスーパーひとしくん。予告された「いい報告」を楽しみに、PC越しの音漏れを聴いて午後を過ごそう。