進化するshamanippon 


「うるわし つよし なら 熟女の修学旅行」より、ただいま帰りました。
温泉だーい、日本間だーい、と喜んでいたら、ホテルはまさかの「インターネット環境なし」。友人たちのおかげで7日と8日の公演に参加できたものの、ブログ更新はできませんでした。もう少し湯気の立つ、荒ぶるわたくしの息遣いの聞えるような情報をお伝えしたかったのですが、まあよく考えたらそんなの怖いからいらんですね。はは。


さっくり感想を述べるとすると、「更なる進化」か。
というか、奈良という土地のおおらかさに、ますます彼らの波長が合ってきたんだろうと思う。いわゆる東京的な緊張から解放され、「自由にやってください」という船長からの指令を受け羽を思う存分伸ばす。その喜びが、時々入れ替わるバンメンと他のメンバーとの、バトルと呼ぶにはあまりに楽しそうなセッションにも感じられる。


それにしてもいったいこの人たちの「のびしろ」というものはどれだけ大きなものなんだろう。人間の可能性、表現の自由。なんていう呼ぶのが陳腐でも大げさでもない無限の奥行きを感じさせる音が、あの小さな空間に響きわたる。ゆっくりと現在を切り拓いて未来へと続けてゆく音。遊ぶ、ということがクリエイティヴィティーというものの本質だということは、疑いようもない。
それが今の日本に足りないところだということに、彼らの音を聴いていると改めて気づかされる。


毎日ほぼ同じセットリストなのにライブとしての印象が全く違うのは驚くほどだ。彼らひとりひとりの、多分バイオリズムのようなものに影響される音色が、客席のリアクションなども手伝って毎日全く違う化学変化を起こしている。よく考えたら、LIVEというのは本来そういうものだ。今回のように「同じライブに日参する」なんてことを久しくやっていなかったから、「ライブは生もの」という感覚を忘れていた。同じ植物を使って作った染料も、毎回まったく同じ色にはならないように、自然には全く同じものなんてありえない。
剛っさんがよく言っている「当たり前のこと」というのは、当たり前すぎて気がつかなかったり、忘れてしまったりすることが多いのだ。頭で理解するだけでなく、その場のヴァイブレーションの波に呑まれる心地よさがLIVEの醍醐味というものなんだ。shipに溢れる音からは、そんなシンプルなメッセージが響いている。


しかし、あのゴージャスな顔ぶれ中でもひときわ異彩を放つコーラスの平岡恵子さんの声には毎度鳥肌が立つ。あれこそ巫女の声。剛っさんもその場所の持つ力や念に呼応し、うたうことで魂を鎮め癒すタイプの巫女だと私は思っているのだけど、多分彼女はもっとダイレクトに森羅万象と交感している。うたうことで精霊を産み出すような原始の大地の女神。震えます。