そして船はゆく 〜shama shipの出航


奈良から戻って、しばし抜け殻状態。いやあ、楽しかった。


奈良という土地の持つ独特なやわらかい空気に包まれてのんびりと歩けば、どこに目をやっても悠久の時をかんじさせる豊かな形、色に触れられる。いつとは知れないほどの遠い昔に、豊かな水の源に人が集まりできあがったこの都。そこに生まれた堂本剛という男の異常に強い吸引力に抗えず、知らず知らずのうちにぼうぼうと風の吹き抜ける平城宮跡に立っている自分を発見する。ホント、縁ってオモシロイもんだなあと思う。


そこで彼曰く「二転三転四転五転」する状況と戦いながら、彼のこれまでの芸能生活で一番大変な時を過ごした後にやっと「出航」の日を迎えられた喜び。ステージに現れた途端、彼のその高揚する気持ちが客席の私たちにも痛いほど伝わってくる。初日は確かにやや疲れた印象もあったけど、ここから堰を切って流れ出すアドレナリンが日に日に彼とその仲間たちのテンションを上げていってくれるんだろう。


時々入れ替わるバンメンたちがあるというのも、不安というより、きっとその都度面白い化学反応を起こして新鮮な音を聴かせてくれそうで楽しみだ。剛っさんの包容力というのは、音に現れるミュージシャンの個性を自分でも愉しむというか、組み合わせの妙を「遊ぶ力」なんじゃないかと思うから。


ステージは前にも書いたように半円形。背後のスクリーンも半円形。そこにさまざまなイメージが時に走馬灯のように、影絵のように、万華鏡のように現れては消えていく。去年の「十人十色」の時の演出より少しやわらかく暖かくどこか懐かしさが漂うような色合いが心地よい。そこに「ラカチノトヒ」では、国王突然の出血大サービス的映像が現れ、会場がその日一番のどよめきに包まれたりする瞬間もあり(笑)、これから行く方は是非お楽しみに。損はさせませんよ、ええ。


しかし、半円形のステージの視覚的効果ってすごくあるんだなと思う。客席がすり鉢状に後方が高くなっていて、皆が同じ方向に自然に集中して、おのずと親密な空間ができあがる。彼が最初に描いた設計図では、会場の天井はすべてガラス張りで、空をゆく月や星を皆で眺めることができるようになっていたのだそうだ。ただそれは「予算」という最大の壁に阻まれてしまい、ボツ。
実はそれって私にとってもトラウマに近い憧れがある。私が今一番行きたいフィンランド辺りにあるオーロラを見るためのホテルは、天井が総ガラス張りになっていて、その真下にベッドが置かれている。真夜中にオーロラが現れたら報せがきて起こされて、そのまま幻想的な光のページェントを愉しむことができるのだ。いや、そんな贅沢は言わずとも、愛する人と同じ夜空を眺め、時を過ごす幸せ。それは多分多くの人の人生の「ぴろ〜ん」が確実に鳴るツボである。


音的には奥行きのない会場なのでやっぱり伸びはない分、時たま生の音が聞こえるようで私は好きだ。本当に狭い空間だけれども、その狭さの生み出すよいところをすべて兼ね備えているように思う。「見る」というより「参加する」という意識を感じられる大きさ。
「こんな狭い空間でやるのは最後になると思う」と剛っさんは言っていたけど、この非情なチケット争奪戦のことを考えなければ、これはやはり理想の形だと思う。堂本剛という人の音楽の質というものや、shamanipponというプロジェクトの意味するところを考えた時、少なくとも最初の船出がこういう形で叶ったことは誰にとっても幸せなことだったと思う。


大変なことはたくさんあったけど、出航、ほんとうにおめでとう。