「shamanippon−ラカチノトヒ−」インスト曲雑感


去年の6月以来、約一年ぶりの奈良。その前に行ったのは中学の修学旅行。ということで、まだまだ行ってない場所、行ったけど完全に忘却の彼方という場所が沢山あって、今度はどこを周ろうかガイドブックなどをじっとり眺めている。
剛っさん縁(ゆかり)の地である薬師寺や吉野、そして天河神社。去年の短い滞在期間中には周れなかった場所も、少しずつでいいから訪れたい。


「shamanippon−ラカチノトヒ−」どうもとくべつよしちゃん盤のインスト曲の収録されたDVD、撮影地は、春日山原始林、鶯の滝、若草山、石舞台古墳、みたらい渓谷、観音峯、らしい。
石舞台は前回訪れたけど、他はまだ未踏の地。若草山は山頂近くまでバスで行けるようだし、鶯の滝には春日大社の背後に広がる神域・春日山原始林の遊歩道を行けば1時間程度で到着。この時期、新緑を楽しみながら、「意志」の力強く弓を射るあの女性のような力強い自然の懐を歩くのは悪くない。


■ 春日山原始林 http://www.kasugano.com/kankou/genshirin/index.html
■ 若草山 http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-6553.htm
■ みたらい渓谷、観音峯(天川村) http://www.vill.tenkawa.nara.jp/sightseeing/data/facilities.html


それはそうと、あの「意志」のMVのキャスティングは絶妙だったと思う。彼女の面差しは能の女面、その佇まいは原始の女性のそれだ。六千年の原始の森の精気を纏い、とても厳かで、美しい。
インスト曲はずっと曲だけを聴いてから、MVを観た。でないとやはり視覚的なイメージに引きずられて、曲から得る印象が変わってしまいそうで。8曲全てが剛っさんが独りでこつこつとコンピューターに打ち込んでつくり上げた曲だから、先入観なしで聴きたかった。もちろん映像を担当したアーティストの方々とのコラボも刺激的だった。私はテクノは好きだが、最近のミニマルなものはほとんど聴かない。だから、自ずと好みはドラマティックな「決意」とか「儀式」などになってしまう。


「決意」はMVを観ると「命をこの世界に産み出す”決意”」というイメージのストーリーのようだが、曲だけ聴いた時にはなんだか逆のイメージがあった。転調を繰り返しながら何度もリピートされるフレーズの、その背後に見え隠れするのは不安や怒りや悲しみであって、MVのように”決意”の先に約束される「新しい命」というポジティヴな結末は私にはあまり感じられなかった。曲の間に挟まれる雑踏をゆく人々の靴音。その永遠に繰り返されると思っていた平穏な日々が、どれほど簡単に脆く崩れ去るものかを知ってしまったその瞬間、「平凡な日常」は全く違った意味を持ってしまう。その残酷な現実と慟哭。剛っさんは「MVを観てタイトルを変えた作品もある」と言っていたけど、この作品はもしかしたらそのひとつかもしれない、と思った。


「儀式」は、これもまた延々と繰り返されるフレーズが、時間をイメージしているように思える。清流の音、滝の音、雨音、雷鳴、そしてMVのイメージも、せせらぎ、空をゆく雲、月影、太陽。何万年、何億年の間淡々と粛々と繰り返される地球上の自然の営み。そして宇宙から見た地球という自然。それらは、以前読んだアメリカンインディアンの本にあった、『彼らにとって大自然は「大いなる神秘」であり、また「宇宙の真理」である』というフレーズを思い出させる。彼らは、自然の復活と和平祈願を祈る時、動物の角や羽で作られた特別な衣装を纏い、身体中に様々な模様を描き、「儀式」を行う。その「サンダンスの儀式」と呼ばれるものによって、力を失った大自然が息を吹き返すよう精霊に祈るのだ。


「戻ることが未来」というテーマどおり、インスト曲の音にもMVにも「時間」と、そこにたゆたう宇宙そして自然の営みが、時に力強く、時に愛しく、また、どうしようもなく残酷なものとして繰り返し描き出される。しかし、その全ての曲の根底にあるのは、「僕たちはこの宇宙を形作っている命の一部なんだよ。さあ、これからのことを考えよう」というポジティヴなメッセージであり、彼の声も眼差しも暖かな確信に溢れている。