shamanippon 「くに」へ


いろんなご縁がありまして、shamanippon奈良ライブ、初日参戦できることとなりました。感謝感謝でございます。


一昨日にshamanipponの公式サイトが更新されて、先頭画面の真ん中に小さなゲル(モンゴルの遊牧民の住居)のようなものが現れた。お饅頭のように白くて丸っこくて、入り口にshamanipponのシンボルマークが描かれている。そして、「PROFILE」をクリックしてロールダウンした画面には「くに」の旗が掲揚された。今思えば、この先頭画面のイメージがそのまま国旗のデザインなのだ。黄金に輝く太陽、白い空、紅がかった赤土の大地。そしてそして「LIVE」をクリックすると・・!


このサイトが公開されたのは、去年の4月4日。私がブログを始めてまだ2ヶ月くらいの頃。当然ファンとしても今よりもっと新米だったこともあり、とにかくそのビジュアルに驚いたことを思い出す。その時私は動揺と困惑を抱えながらこう書いた。「時々ポストに放り込まれているある種のパンフレットを彷彿とさせるその趣味の悪さは、テイストの問題かそれとも故意か」。


その後、彼の口からそこに籠めた様々な想いを聞いてきて「故意(=ちゃんとした意味がある)」とわかって納得したが、その時はマスコミの「宗教くさい」といった悪意のある記事もやむなし、と思った。
若い方々の方がそういう先入観はないと思う。だが、私より上の世代や、60〜70年代のカウンターカルチャーなどに興味のある人は、これが当時の「ユートピア」のイメージにインスピレーションを得て描かれたものだと一目見てわかっただろう。そしてそれは、困ったことに(多分)今でもある種の宗教活動のパンフレットなどに使われているイメージにとても近いものだったのだ。だから、「なんで剛っさんは、わざわざそんな妙な手垢のギットリついたイメージを引っ張り出して来たんだろう?」と戸惑った。
当然、彼の周りの人たちもそこは想定していたことと思う。否定的な意見もあったはず。でも敢てそれをやらせた、ということは、それを描いた彼本人の強い意思があった、ということなのだ。


きっと彼はその手垢の下にある、「ユートピア=理想郷」を求める人々のピュアな気持ちをもう一度見直したかったんだろう。
例えばジョン・レノンの「イマジン」に歌われたような、国や宗教、人種などの違いによって起こる争いは無意味だと、平和や愛を訴える曲をイメージしてもらったらわかりやすいかもしれない。あれが今思えば人類が初めて月へ行った時代に、科学技術が発達することだけが未来なのか?と、ものすごい速さで変容していく社会の価値観に疑問を持った人々による、初めての「戻ることが未来」というメッセージだったんだと思う。
だが、不幸なことにそれは、70年代以降に起きた「ユートピア」を実現しようとした狂信的な宗教的コミューンの集団自殺や信者の殺人事件などによって、本来の意味とは全く違うイメージを与えられてしまった。それが今も尾を引いていて、あのサイトを見て、堂本剛を「宗教くさい=危ない人」と言う人がいる。が、なんと言われようと、彼の届けたいメッセージは、どうにもこうにもそのゆがめられてしまったイメージの「その下」にあるものなのだから仕方がない。


『 円の中心に長(おさ)がいて、その周りに人々がいる。文化やお金が絡まないそんな関係を昔の人々は「くに」と呼んでいた。shamanipponはそんな「くに」 』


そんな「くに」へ、行ってきます。