シャポメンタリー鑑賞記


初回限定Bとくべつよしちゃん盤収録の「shamanippon くにのうた」シャポメンタリーを観る。


15分程度の短い映像ながら、現場の空気がリアルに感じられる。剛っさんが監督さんにアイディアを伝え、細かいディスカッションを重ねては撮り進める。「shamanippon shamanippon」と繰り返す歌詞と用意されたセットだけで、「くに」の根幹になるコンセプトを伝えなくてはならない。円盤の上を歩くその方向、能面を使うこと、ひとつひとつに意味がある。


その中で剛っさんが「古語で”光”って”かげ”って言うんだよね」と言っていた。ほぉ〜、と思って古語辞典を調べると確かに「光」は「かげ」とも読み、「光によって見えるものの形や姿、また、水や鏡に映る物の姿をいうとともに、光の反対側にできる陰影、影法師など」とある。当時「かげ」は、光によってできる影だけでなく、日・月・星や火・灯などの光そのものの両方を指す言葉だったのだ。そう言われてみれば、「月影」は月そのもののことだ。漢字の意味を調べると「影」は「景=光」+「彡=物の形」なのだそう。


「くにのうた」のMVは、その光と影の美しいコントラストが印象的だ。真っ暗な背景に満月のように浮かび上がる円形のステージ。足元にある行燈の満ちては欠ける月の絵。剛っさんの顔を横切る影に、空を行く月影が感じられて、ギターの色さえも月光をイメージしたかのように見えてくる。


月と言えば、私の好きな「ラカチノトヒ moon arrange」、そして「TUKUFUNK」も、どちらもただぽっかりと夜空に浮かぶ月の姿ではなく、月の動き=時間を感じさせる。古代人も見上げた同じ空、同じ月。何千年経とうと変わらないそのリズムの下、過去現在未来、永劫に続く命の営みを照らし続ける。彼のつくった曲を聴いていると、その永劫の流れの中ではほんの一瞬に等しい時を共に生き、今同じ月を眺めることのできるささやかな縁を嬉しく思う。