shamanippon 美しきくに


昨日から、「shamanippon−ラカチノトヒ−」の宣伝トラックが渋谷原宿辺りを走っている。早速写メや動画があちこちにUPされて嬉し〜い。特に宣伝トラックの後方にプリントされた剛っさんの、俯く写真が大変結構なかんじ(なんだそれ)。「当たり前体操」踊ってる人とは思えない。それがまた同じアルバムの宣伝だとは誰が気づくであろーか。


都心のあちこちに張られたポスターのコピー。
『戻ることは未来。「第六感」が特別な力とするなら、”ひとを想う”ことや”想像する”ことは第何感なのだろう。”恋する”ことや”愛する”ことは一体第何感なのだろう』
『想像する力 進化を突き進む毎日の中で ふと立ち止まり振り返ってみたローテクノロジーとハイテクノロジーの共存・・・』


ファンはよく彼から聞いているフレーズだけれど、これを彼を全く知らない人が先入観なしに突然聞いたら、なんと思うんだろう。なにを感じるんだろう。
今回のアルバム、まだ正式に発表になっていないことが多いけど、アルバムのマスタリングを頼んだ方、MVを担当した方、その他にも海外のアーティストとのコラボが多かった。剛っさんのコメントなど聞いていると、どうもその方が今の彼のつくりたい音やイメージをよりクリアに表現してくれるようなのだ。


日本の美しさを表現するのに外国人の感覚を借りる、というのはとてもわかりやすい。なぜなら、彼らには私たちが「日常」としてあまりに身近にありすぎて、その美しさに気づかずにいるものを彼らは「新鮮」に感じ、そして教えてくれる。
その昔、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、移り住んだ日本の文化、日本人の美しさを称えた。その無私の心と忍耐力、安らぎと趣をたたえた微笑。そして近代の日本が忘れるべきでないその国の姿を「忘れえぬ記憶の伝承」として多く書き残した。


梅原猛の著書にこんな一節がある。
『小泉八雲は日本文化の基層を成すものは「神道」と考えた。神道とは「祖先崇拝」の宗教ととらえ、祖先崇拝とはまた死者崇拝とみた。ここで最も基本的な感情は、死者に対する感謝の感情だ。この感情は日本の庶民の中にまだ根強く残っていて、それが極めて美しい道徳を形成していることを驚きの目で見つめている。日本の伝統的な精神や文化に興味を持った八雲は、明治以降のいかなる日本人よりはるかに深く、日本の思想の意味を理解していたのだ。』


そして剛っさんに近しいところでは、海外で生まれ育ったレナード衛藤さんも自らのHPでこんなことを言っている。


『昔から日本人は自然に対して畏怖の念を持ち、五穀豊穣や無病息災を願って祭りを行い、祈りを捧げてきました。その中心にあったのが和太鼓であり、踊りです。
今、日本は大変な状況になっていますが、私のミュージシャンとしての立ち位置は今までと変わりません。それは、異なる価値観の人たちと音楽を通じて積極的にコミュニケーションを取り、共通する何かを見出して、曲や演奏という形にすること。
そして、そのような人間の活動を支えている自然からのメッセージを真摯な気持ちで受け取り、前に向かって生きていく。そのことが、創造していくということだと思っています。Stay positive』


全く違う文化の中で育った人間だから見える日本文化の美しさ、豊かさ。そこにどっぷりと浸かって暮らす日本人には見えにくいもの。そしていつしか忘れられ、失われつつあるもの。剛っさんが「思い出そう」「戻ろう」という原点がそこにあるならば、表現するのに必要とした「視点」は、「異なる文化をバックボーンとしながら日本の良さを理解している人たち」のそれなのだろう。
実際、八雲の見たような美しい日本の伝統を知らない若い人たちも多い。ならば、それを同じように「発見」した人たちの視点を入れることで、一層鮮やかに焦点を結び浮かび上がる「美しきくに」があるはずだ。