Fashion&MusicBook 「埃」の話


今夜のF&MBで、アルバム曲の初披露があるとのことだったけど、結果的には「平安結祈」の最後、アルバム告知で流れた「shamanippon〜くにのうた」の一部のみが流された。印象的な♪しゃーまにっぽんしゃーまにっぽん♪のリフがかっこよくて(他に形容詞が見当たらないっ)頭の中をぐるぐるしそう。


アルバム制作の裏話や収録曲のことなどを話す中で、収録曲の「埃(ほこり)」という曲についてできた経緯などの話があった。
< 「埃」という曲があるけど、「埃」は「あい」とも読み、その意味は数の単位で「一の百億分の一」、とにかく小さなもののこと。昔は積もった埃や塵を集めて仏像の中に感謝を込めて入れたりした。積もったものをなかったことにしないで、そのまま未来に繋げる日本人の想いと知恵。「埃」、目に見えないくらいの小さなものでも、自分が積み重ねてきた「愛の埃」。そのたったひとつの一の百億分の一も捨てることなく、今日を大切に誇らしげに生きていこう。そんな独り言を空が聞いていた。という歌。「あなたがもし青くなければ、もしこんなに大きくなければ、ぼくらの心には争いしかなかっただろうし、想像する力もなかっただろう。どんなに感謝してもし切れない」。
これは東北の震災のこと、自然災害に立ち向かい乗り越える姿を見て生まれた。大地が砕けても、空は残っている。空は世界と繋がっている。空はいつも僕らを見てる。いろいろなことが、この「埃」という言葉と昔の人々が、再建したり復興したりする時に持っていた想いと照らし合わせながら、いろいろな時間を過ごしてできた曲もある >


これを聞いてフと思ったことは、「国歌=君が代」のこと。今話題になっているけど、こういう問題が起きるとすぐに出る「国歌を変えろ」という意見にいつもなにか違和感を感じる。戦争の悲しく苦しい記憶を消し去りたいと思う気持ちはわかるけれど、これは無くすことで水に流してしまってはいけない問題だと思う。戦争が人間の犯した大きな過ちであったことを忘れずに、その辛い歴史の上に積もった埃や塵を、長い年月をかけて拭っていくのが大事なことで、穴を掘って埋めてしまうことで簡単に葬り去ってはいけない。むしろ「その国歌の下に犯された過ちを二度と繰り返さない」とひとりひとりが自らを戒める道具や呪文としてでも、残していかなくてはならないものじゃないんだろうか。絶対に忘れてはならない大切なことだけをしっかりと胸に仕舞って、私たちは未来へと歩いていけば、それでいい。歌詞の内容がどうだとか、立って歌うとかそんなことは実はどうでもいいことだ。


ところで、「埃」は確かに数の単位としてあった。
http://www1.odn.ne.jp/haru/data-list/number_01.html 古いサンスクリット語の仏教用語から来ているこの数の単位は、小さくなるにしたがって形あるものからだんだんと目に見えないもの、そして瞬間を切り取るような時間や音に変わり、最後には空間や状態を表すものになっていく。ちなみにこの表よりもっともっと小さな単位も存在し、一番小さな単位は「涅槃寂静」というのだそうな。「涅槃」とは「ありとあらゆるしがらみや束縛から解放された、完全に自由な悟りの境地」のこと。目に見えるものから始まった単位がだんだんと小さくなっていき、「悟り」にたどりつくとそこで「悟りの功徳の大きさ」である一番大きな単位「不可説不可説転」と出会う。ふむ、ここでも空は繋がっているのだ。