Fashion&MusicBook 「いい音」の鳴る場所


昨夜のFashion&MusicBookで、「どうやったらギターうまくなれますか」という質問に、ギターを爪弾きながら彼はこう答えた。
「うまくなろうと思ったら、いい音を探せばいいですよ。すると自然と音が変わっていく。自分にとっていい環境を与えてあげればいい音が鳴るんです。努力で自分をコントロールすることによって、そこに出会える」


哲学的というか禅問答的というか、いつもの剛節なのだけど、要は「好きこそものの上手なれ」に尽きる、って話じゃないんだろうか。彼の場合、ギターを弾くことが好きで好きで仕方がなかったから、自分にとっての「いい音」が出せるよう弾いた。毎日弾いた。で、納得のいく音が出た時、結果的にテクニックも身についていた、と。
「うまく」弾く、「うまく」歌う、「うまい」ってどういうことだろうと考え出すと、楽器だろうと絵だろうと作文だろうと料理だろうと、絶対に煮詰まる。なぜかというと、「うまい」っていうのは相対的なことで、そこには他人の目が入っているから。誰かと比べて「うまい」なんていうものを追求していると、自分にとっての「いい」がわからなくなってしまう。彼も言うように、あまりいろいろ考えず、体の内側から湧き上がってくる「好き」を極めたら、自分にとっての「いい音」が自然に出せるようになってくるものなんじゃあるまいか。


私は楽器をやらないので聴き手としての推察だけど、楽器っていうのは受身なものだと思う。自分の中に響いている音を奏でるのが個性なら、弾いている人の感情が共鳴してそのまま怖いほど音に反映される繊細でいてニュートラルなものがいい楽器なのではないか。バイオリンのストラディバリウスもその音は、古典から現代曲まで弾き手次第で様々な音を出せる柔軟さと寛容さを兼ね備えた究極のスタンダード・モデルなのではないかと思う。
それと比べたら、現代の楽器はブランドやモデルによっても音のテイストやニュアンスがかなり違うけれど、この日彼が弾いていた何十年も前からいろんなミュージシャンに愛されてきたギブソンも、彼が弾けばちゃんと堂本剛の音になる。「いい音」っていうのは、その人が見える音、なんだな。


なんてことを考えていたら、面白い写真を見つけた。http://www.behance.net/gallery/ART-DIRECTION-INSTRUMENTS-FROM-INSIDE/340016
1、2、4枚目は瞬間的に「音楽ホールかな?」と思った。壁のカーブなんかがクラシック用のホールによくあるかんじ。実はこれ、内部に小さなカメラを仕込んで撮影した、楽器の内部なのだ。外から普段目にすることのない、「音の鳴る」ところ。特にバイオリンやギターのその優雅な曲線からは、美しい旋律が聞こえてくるようだ。ここで弦から出された音が共鳴し、さまざまな音色が生まれてくる。高い音も低い音もバランスよく鳴らせるために、先人たちが気の遠くなるような時間をかけ、試行錯誤を繰り返しつくり出した究極のフォルム。まさに小さな音楽ホールなのだ。


考えてみると、ライブ会場ではいろんな音が響きあっている。剛っさんが、自分の中に湧き上がるものを指先から放ちギターを鳴らし、体を楽器にして声を響かせる。その音が他の楽器と響き合い融け合いひとつのうねりとなりホールを震わせ、オーディエンスの心とまた共鳴する。


出遅れたファンである私はタンク未経験。彼の「いい音」に照準を合わせたその「箱」は一体どんな響きを聞かせ、どんなGrooveを味あわせてくれるんだろうか。<おまけのNEWS>
「音楽と人」金光裕史さんからの告知。<次号、音楽と人5月号は堂本 剛の表紙&特集で4月5日発売。アルバム『shamanippon-ラカチノトヒ-』は、ファンク、サイケ、ブルースなどが入り乱れた、とんでもない作品です。ほんと凄いぞ!>