震災から1年


明日は3月11日。
日本のTVなどで各局で関東大震災から1周年の特番などが始まっている。今夜はNHKで「3月11日のマーラー」という番組があったというのをTwitterのタイムラインで知った。
去年の3月11日の夜、東京都墨田区のすみだトリフォニーホールで、イギリスの指揮者ダニエル・ハーディングを迎えた日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会があった。急遽中止となったコンサート、イベントが多かった中、予定通り開催されたが、1800席が埋まるはずの会場に来れた観客はたった105人。余震の続く中、マーラーの「交響曲第5番」が演奏された。葬送行進曲に始まるこの曲の第4章adagiettoは、ビスコンティの名作「ベニスに死す」にも使われた。「死」を暗示する美しい曲だ。


こんな時に、と非難の声もあったコンサートだったが、ハーディングは後に語った。 「音楽は苦しみの大きさを理解するための助けになります」「あの日マーラーの5番を聞いたことで被災した人達の痛みをより深く理解できるようになれたのだと自分に言い聞かせています」。
この曲に織り込まれていたのは、陰鬱で悲しみに満ちた時代を超えて愛する人を得たマーラーが、徐々に心の静けさを取りもどし喜びに高揚してゆく姿。美しい旋律からは、彼の心象風景が立ち上って、聴き手に追体験を促す。


そしてもうひとつ、宮城県で被災者の鎮魂花火大会があった。
こちらはUstreamで生中継がされたので、私も観ることができた。主催は被災地の泥に埋まった家々を片付けるボランティア「スコップ団」(彼らの活動について:
http://www.1101.com/schopdan/)。


雪のスキーゲレンデを会場に、震災の死者・行方不明者の数と同じ2万発の花火が打ち上げられる。夏祭りのにぎやかな花火大会と違い、静謐な空気が漂っている。美しく咲いては散っていく花火に、見守る人たちも人の一生を重ねてしまうんだろうか。時々はさまれる10秒程度のインターバルには、深々と積もる雪が集音マイクをかすめる音だけが、天の嘆きのように静かに響いている。


花火、精霊流し、日本の祈りは美しい。空の上からよく見えるようにと、闇に灯りをともす。そして、「届け」と空を見上げ、「見えますか」と語りかけることが、逝った者と残された者両方の魂を慰める。2万という数の花火を上げ終わるのに、1時間と少しかかった。30分くらいで終わるのだろうと思った自分に、2万人の命の重さが改めて堪えた。


このイベント、TV中継などされなくて本当によかった、と思った。お涙頂戴のナレーションもなくBGMもCMもない。固定されたカメラからは何の演出もない素のままの現実が流されるから、人の言葉に煽られず、自分の想いを確認できる。
花火が終わった後の暗闇に、また雪の音だけが静かに聞こえている。その大きな祈りの余韻の中で、残された私たちはとにかく前に進んで行かなくてはならないんだ、と思う。福島で起きた過ちを繰り返してはいけないけれど、震災で負った心の傷は癒されなければならない。前に進むために忘れてはいけないことがあり、前に進むために忘れなければならないことがある。


明日は花を飾ろうと思い、春の花をと色とりどりのチューリップを買った。お線香はないので、お香を焚いて、天へと上る煙に祈りをこめる。