よいお年を。


大晦日。KinKiコン〜カウコン〜小喜利と怒涛の年明けを迎えるウラヤマシイ方々を尻目に、我が家はまったり動きなし。市街では毎年12時に生オーケストラのBGM付きのニューイヤー花火大会があるけど、あいにく今日は雨。そのうち雪に変わるかな。


2年前の今日、私は旅行でベルリンにいた。そう、剛っさんが「ベルリン」を撮った欧州を大寒波が襲ったあの冬。私の覚えてる限りではあの本の中のブランデンブルク門前にクリスマスツリーがなかった+大寒波の去る前だから、あの撮影は1月6日以降だったんだと思う(こっちではツリーは1月6日まで飾る)。当時は剛っさんのこと知らなかった(!)んで、後でそのたった数週間程度の時間差攻撃に意味なく地団太を踏んでみたりしたわけですが。


私が最初にドイツを旅したのは1989年9月。80年代に観た映画「クリスティアーネ・F」や橋口穣二の写真集「俺たち何処にもいられない」、西ベルリンのバンドEinstürzende Neubautenの荒廃したベルリンをいつか訪ねたい思っていたのだけど、その時は別の目的があったので「仕方ない次回ね」と諦め、その3ヶ月後私は死ぬほど後悔することになる。ベルリンの壁崩壊。


そして壁崩壊20周年記念の冬、やっとこさ縁の巡ってきたベルリンを訪れた私が感じたのはその圧倒的な大きさ、だった。西欧の大都市は近年どこも酸性雨で黒ずんだ教会の外壁のクリーニングに余念がないが、まだ旧東側の都市に行くと、黒いままの建物が荘厳に鎮座しているのが見られる。賛否はあるが、私はこの大きく黒い陰鬱な翳のある風景が好きだ。ベルリンでもまだ旧東地区は建物にも歴史がそのまま残されている。高い建物が少なく、空が広い。都市開発は進んでいるものの、まだ空き地や道路の広さばかり目立つ閑散とした中心部。
しかし、そこに漂う人々のプライド、リベラルな空気は、やはりここは欧州でも屈指の大都市であるとともに特別な場所なのだと思わされる。表通りのスタバを避けて、裏通りの古いカフェに入り、分断されていた時代から何も変わっていないであろう煙草の煙で煤けたような壁の色にホッとする。


街を歩くと、剛っさんの本でも紹介されていたようなアーティストのアトリエを兼ねたようなショップが多いのがわかる。クリエイティヴな人たちが集まって、アートの発信地ともなっているようだ。まだ旧西側の都市に比べたら家賃も安いから、アーティストたちも住みやすいのだと思う。多分剛っさんは、そんな空気を肌で感じて、あのクソ寒波の中であんないい顔をして微笑んでたんだろう。


ドイツでは20年後の今でも所得税の5%を旧東側への援助金として払うことで、全国民(外国人労働者含む)が責任を背負っている。国家転覆寸前だったイタリアでも、今再建のプロフェッショナルたちで組まれた特別内閣があらゆる部門で増税を計画している。自分たちの国は自分たちでどうにかしなくてはいけない。
日本の復興もまた、単なる地域的な問題ではなく国民全員で背負わなくてはならない問題だと思う。語られるべきは増税のきつさではなく、その資金が正しく使われるかどうかであるべきだ。地震国である日本。東北に起きたことは誰にとっても他人事ではないはずだから。


大きな転換の年になった2011年に続く2012年、一体どんな年になるんだろう。3.11のニュースを観たり、街角にホームレスが増えた気がする世界的大恐慌ムードの映像は、なんとなく統一前のベルリンの閉塞感を思い出させた。


剛で始まり剛で終わった怒涛の2011年。ブログを始め、twitterを始め、いろいろとっ散らかった頭の中を少し整理できた気がする年でした。妄想まみれの拙文を読んでくださった皆々様、ありがとう。
よいお年を。