NAMI・KAWA・TSUKI


週末に小旅行で出かけた町の美術館で、梶井照陰という写真家の短い映像作品を見た。
民族史学の資料や美術品を集めた美術館で開催されているエキシビジョン。イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、様々な宗教の神秘が、多くのアーティストとのコラボによって展示される、その一角に彼の作品はあった。テーマは「TSUKI」。月、である。


夜の海。漆黒の水面に浮かぶ月が、ゆらぎながらそこにある。寄せては返す波に引き裂かれ、砕け散り、その破片のひとつひとつに月光がきらめく。10分弱の短い映像は、ただひたすら水に映った月を見つめる。
コラボしたテキストは「道元」。曹洞宗の開祖だ。「あ、それで月なんだ」と合点がいく。道元は「悟り」を水に映った月に例えた。


     人の悟りをうる 水に月のやどるがごとし 月ぬれず 水破れず
        ひろくおほきなる光にてあれど 尺寸の水にやどる 
        全月も弥天も草の露にもやどり 一滴の水にもやどる 


月は水面に映っても濡れないし、水も破れない。その大きな光はほんの少しの水にも映るように、草の露にも、一滴の雫にも映る。全ては普遍であり、どんな者にも平等に悟りは訪れる。


その「TSUKI」を町のギャラリーでも展示していると聞き、そちらへも赴く。
あの映像から起こしたのであろう、スチール写真が数点飾られている。映像も美しかったが、波に弄ばれる月光の一瞬を切り取った写真もまた神秘的で美しい。
そのスペースの隅には彼の写真集も置かれていた。「NAMI」そして「KAWA」。気になったので先に彼の経歴を見てみると、なんと彼は大学で密教を学んだ、佐渡島に住む真言宗の僧侶でもあった。


荒れ狂う日本海を撮った「NAMI」(2004年)。
大きくうねる奔馬のような波が、The Lord of the Ringsの濁流が馬に変わるあのシーンを思わせる。荒々しく猛り波立つ海。
「KAWA」(2010年)は、6ヶ月間世界を周る中で撮られた各地の川。
暴雨の川では、強風に煽られた雨粒が渦巻くように水面を叩き、飛沫が狂ったように光を乱反射する。そんな激しい表情の隣に、優雅にたゆたう大河に魚や水棲昆虫がつくるビロードのような波紋がある。凍った川の水を顕微鏡で撮った写真は、光のプリズムが虹色に輝いて遠い宇宙の星雲のようだ。時に鉱物のようであり、生き物のようでもある万物を創る水と、そこに踊る光はどこか神々しく、見る者に静かなインスピレーションを与え、深い瞑想へと誘う。


どちらの作品集も、時に雄々しくダイナミック、時にスピリチュアルな静けさを漂わせる「水」をテーマにしたものだ。
彼は言う。「夜の撮影は五感が研ぎ澄まされる。暗闇の中で、天敵に身を潜め、神経を尖らす。撮影は太古の感覚を呼び起こす作業だった」。そして、「川を撮ることは、読経をする時のように確かな、我を常に否定し、同時に自分と向き合う作業でもあった」と。水と向き合って写真を撮ることは、彼にとってひとつの修行でもあったのだ。


このひたむきで真摯な眼差しに出会って私が思ったこと・・・「ココロ見」に呼んで剛っさんとの対談が聞いてみたい!
歌と写真、表現方法は違えど、彼らの想いには共通するものがあるように思う。NHKにリクエストしてみようっと♪


梶井照陰(かじい・しょういん)
1976年生まれ、新潟県出身。1999年高野山大学密教学科卒業。16歳の頃より写真雑誌などで作品を発表し始める。1995年〜1999年、高野山で修行。ベトナム、カンボジア、タイ、パプアニューギニア、イギリスなど、世界各国を訪ね、積極的に取材して歩く。2004年、佐渡の波を撮り続けたシリーズで第1回フォイル・アワードを受賞、写真集『NAMI』(フォイル刊)を発表する。本作で、2005年度日本写真協会新人賞を受賞。また、日本の過疎地を取材した『限界集落―Marginal Village』(フォイル刊)での活動が評価され、2009年に第20回五島記念文化賞美術新人賞を受賞。現在、佐渡島にて真言宗の僧侶をするかたわら、写真家としての活動をおこなっている。


梶井照陰写真展「NAMI」(2006年)
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2006/05/09/3764.html
「KAWA」
http://fashionjp.net/highfashiononline/open_space/syoinkajii.html