Starbow、Rainbow


Starbow(星虹)というものがあることを、虹のことを調べていた時見つけた。
『光速近くで移動する宇宙船から星空を眺めると、ドップラー効果と特殊相対性理論の効果によって、星の見かけの位置が進行方向前方に移動し、進行方向を中心とした同心円状に星の色が変化して虹のように見える、と言われる現象』(Wikiより)。
・・・何ひとつ理解できませんが(汗)。さっくり結論だけ書くと、まだそんな宇宙船は開発されていないので、宇宙で虹が見えるというのはあくまでも「理論上」の話なんだそう。


「科学は万能」と刷り込みを受け、矢追さんの「UFO特番」を固唾を呑んで観ていた世代的には、21世紀になってもまだ宇宙の旅もできないし、宇宙人も現れないし、耳に馴染んだ「タイムトラベル」「ワープ」「テレポーテーション」なんてまだまだ遠いSFの世界、という事実には正直ガッカリだけど、それはまだ現代にファンタジーが残っているということでもある。


今、騒がれている「2012年地球滅亡説」は、マヤ文明が残した暦が2012年で終わっていることから始まった。このマヤ文明、高い天文学、数学、建築などの知識を持ちながら、突然滅びてしまった謎の多い人々なのだ。
その遺跡からは、ロケットや宇宙船に乗った人物としか見えない絵が発見されている。絵の中の人物はヘルメットを被って操縦レバーを握り、鼻には酸素吸入器らしいチューブが。乗り物には燃料タンクのようなものが描かれ、後部には発進炎が上がっている・・。
もしその絵が当時の様子を描いたものなら、彼らは現代と同じくらいか、それ以上の文明を手に入れていたのかも・・・なんてことがまことしやかに語られるわけだ。


「やりすぎコージー」の観過ぎ、と言われそうだが、ま、とにかく現代の科学が煮詰まったのには、そういうファンタジーを軽視しすぎたから、ってところもあるんじゃなかろうか。実際、「超能力」なんてものを研究する科学者は「ロマンティスト」の一言で片付けられ、アカデミックな世界では一切相手にされないそうだ。大槻教授じゃないけど、そんな風に科学で証明できないことを科学者の力不足と思わず、「手品だ!」と言える根拠の方が私にはよくわからない。


ものすごーくミもフタもないことを言えば、今も解明できていない古代文明がどうやって巨石を動かしたか、あれほど精巧なピラミッドを築いたか、なんて謎を初め、多くの謎は「古代人は超能力が使えた」で解決がつく。
マヤの遺跡に描かれたのが本当に空を飛ぶ乗り物だったとして、それは乗っている人間がサイコキネシスを使って「浮かし」ていたのかもしれない。自意識が育つにつれ、技術が発達するにつれ、人間が失ってきたものがあるとしたら、多分そんな能力なんじゃなかろうか。
現代でも、例えば「火事場の馬鹿力」とか「虫の報せ」とか、普段何の特別な力もないと思っている人にも起きる「超常現象」がある。潜在能力は文字通り人間の心身のどこかに潜んでいて、時折そうして顔を出す。


人間が森羅万象と寄り添い、そして戦いながら生きていた頃、自然の波動をより敏感に受け取る力を持つ者、もしくはコントロールする力(!)を持つ者だけが生き延びられた。私たちはその子孫なのに、「科学は絶対的に正しい」という「呪」は、現代の人間の能力に限界を与えてしまったんじゃないだろうか。


失ったその力を取り戻すため、私たちは自らマジョリティーに背を向けて「ロマンティスト」になってみる。大きな「科学という名の呪」から五感六感を解き放った時、失ったものが目を覚ますかもしれないから。
Starbowは見られなくても、この地球の青い空に大きなRainbowがかかればそれでいい。私たちはそんなに多くを求めているわけではない。この地球で、愛する人たちと仲良く暮らせたら、それでいいのだ。