エトランゼということ


こないだニューミュージックのことを書いていたら思わず懐かしくなって、昔好きだった曲などYoutubeで検索して聴いてみた。


当時、女子に一番人気はやはりユーミン、アリス、松山千春、チャゲアスといったところ(山下達郎なんかはちょっと音楽にうるさい男子に人気だった)。特にユーミンは異常人気で、1960年代生まれで彼女の歌を一曲も歌えない女子などまずいないだろう。天邪鬼で「ベストセラー」と聞くと避けて通りたくなる私も、彼女の詩の世界は好きだった。初期の頃の曲にはちょっとヨーロピアン寄りな無国籍なロマンティシズムがあったから。


KinKiの「K」の中に「さよならのエトランゼ」というひときわ歌謡曲臭の強いタイトルの曲がある。「エトランゼ=異邦人」。これはまだ日本人が自由に海外渡航できなかった時代の歌謡曲に、異国への憧れを込めてよく使われたイメージだ。
昔の歌謡曲、そして少女漫画も海外を舞台にしたものが多かった。60年代にフレンチポップスやイタリアンポッポスのカバー曲が流行り、TVでは「兼高かおる 世界の旅」(元祖旅番組)が大人気。日本人はまだ見ぬ異国で、「エトランゼなわたし」になることに果てしない妄想を抱いていた。
純日本風のお茶の間で、「外国」という概念もよくわからぬままそんな曲を聴いたり(親の趣味で歌番組ばかり観ていた)、ローマを着物で歩く兼高かおるを観たり、「ベルサイユのばら」を読んでたりした子供に、思えばそこで洗脳が行われていたのかもしれない。


音楽の好き嫌いができて、アメリカの音楽とイギリスの音楽の区別がつくようになると、ヨーロピアンな音に惹かれた。高校時代はユーミンより、むしろ大貫妙子。「ヨーロピアン三部作」(特に「ROMANTIQUE」)ほど異国への憧れをかき立てられたアルバムはない。パリの教会の鐘の音、ロンドンの石畳の匂い、スペインの強い陽射し、をほんとうに感じながらそこに立っているような気分になり、行ったこともない土地への「望郷」に、胸がしめつけられる。


で、今実際にエトランゼをやってるわけだが、目にも心にも新鮮なのはほんの数年間(笑)。住んでしまえばまたここにもいろんなシガラミができ、じわじわと現実の波は押し寄せる。そんな時は国境を越えて違う文化圏に行き、どこまでも無責任な観光客というエトランゼをやって胸をときめかせたり、息をついたりする。


行き当たりばったりの旅で、夕食をとるため車を止めたフランスの小さな町。唯一開いていた、平日だったからかあまり人気のないレストランのテラスで、地元のアマチュアバンドがケルトミュージックを演奏している(フランスの北部にもケルト文化が残っている)。夕闇が迫っても灯っているのはテーブルのキャンドルだけ。しんと静まり返る街に人々のささやき声と音楽だけが響く。
自分のことを誰も知らない土地で、こんな風に音楽を奏でられたら、きっと剛っさん嬉しいだろうな。彼のような人ほど、こうやって彼のことなど何も知らない人の間で素のままでいられる時間を過ごせたら。「NIPPON」の発売決定の直後だったから、そんなことを思ってなんだか泣けた。


ところで、歌謡曲でバーチャルエトランゼ曲と言えば、布施明の「カルチェラタンの雪」。私のパリはコレ。お手軽っ(笑)。動画サイトなどでドゾ。