異界への旅


天河神社の例大祭で「葛城」という能が奉納された。
「葛城」というのは奈良の西部、大和の最も古い都のあったところであり、多くの神話の残る地、そしてこの物語に登場する女神の名でもある。
ストーリーはこんなふうだ。


< 葛城山を旅する山伏一行が山中で吹雪に遭っているところをひとりの女に助けられる。薪を焚いて女は山伏をもてなすが、山伏が夜の勤行を始めると、女は自分の苦しみを取るお祈りをしてくれと言う。女がこの世のものではないと気づいた山伏が問いただすと、自分は葛城の神であるが、修行者のための岩橋を架けるという役行者との約束を守れず、今も苦しめられている、と言う。山伏が祈ると女は女神と姿を変え、大和舞を舞い、磐戸へ入っていく >


私は一度だけ薪能を見たことがあるが、その暗闇に浮かぶ舞の幽玄さにうっとりとした記憶があるのみ。何の知識もないまま見たので、ストーリーどころか演目すら覚えていない。
それが、堂本剛という人の描く詩の世界、「桜」や「虹」などのイメージを追いかけるうち、この「能」という深い森の入口に行きついた。


「桜」も「虹」もその儚いイメージのためだろうか、見る者に「死」を想わせる。どちらも世界の様々な文化の中で、死者と生者を繋ぐ、あの世とこの世を結ぶ「橋」として語られ続けているものなのだ。
そして能もまた、死者と生者の物語である。


「夢幻能」と呼ばれる能は、死者(幽霊)であるシテと生者であるワキによって舞われる。ワキである旅人があるところを通りかかると、シテである人物に出会う。ふたりはその地のことなど話をするが、しばらく話すうちワキはそのシテがこの世の者ではないと気づく。シテはその地に思いを残して死んだ霊魂で、その思いを聞いてもらいたくて現れる。ワキはその聞き役となり、成仏を助ける。
・・・というのが夢幻能の典型的な物語だ。


その能の舞台にも「橋」がある。舞台裏から登場する演者は「橋掛かり」と呼ばれる場所を通り本舞台へ現れる。シテにとっては舞台裏があの世とすれば舞台はこの世。「橋掛かり」が、文字どおりそのふたつの世界を繋く「橋」となり、観る者を「異界」へと誘う。


思えば、私の好きな物語は読み手を異界へと連れて行ってくれるものなのだ。
異界と言ってもこの現世と全く違うところではない。似ているがどこか違う、例えば「1Q84」の主人公が首都高のわきの階段を下りたところから、泉鏡花の物語の主人公が深い山に分け入って歩くうち、いつしか「異界」へ入り込むように、夢と現(うつつ)の間を小舟に乗ってゆらゆらとゆく、パラレルワールドの旅。


今度の里帰りには、熊野古道、天河神社、そして能鑑賞。これでキマリだっ。


今回のネタ本は、「異界を旅する能−ワキという存在−」安田登:著。
現役の能楽師の方の書いた本で、異界と出会うワキの旅を例に、旅をしながら小さな「リセット」をしていくことの大切さなど語ったものですが、ドシロウトのための「能とはなんぞや?」入門に絶好の一冊でもあります。オススメ。