縁を結いて [ケルトと五十鈴]後編


<昨日の続きです>


声と言っても耳元で妖精が囁くわけではない。
それまで私の好きだったものが、次々と実はケルトと繋がっていたことがわかり始めたのだ。
当時私が、その神秘的な美しさに心奪われていたフラクタル・アート。ある朝、日経新聞を広げるとケルト人による「ケルズの書」という装飾写本とフラクタル図形の相似を語った記事が特集されていた。
ある日は、ずっと好きで聴いていたイギリス人アーティストが自らがケルトの末裔だと音楽誌のインタビューで語っているのを発見した。
そしてある日、その前年にイギリスを旅した時に一目惚れして買って以来毎日着けていたペンダントが、代表的なケルト紋様のひとつだと仕事で会った人が教えてくれ、終いには通っていた英会話学校の担任が急に辞めて、新たに来たのがアイリッシュ・・・。


それはまるでオセロで大逆転を食らったようだった。
私の持ちゴマがバタバタとひっくり返されると、その裏側にはひとつひとつにくっきりとケルトの刻印が押されていた。
この「いらっしゃ〜い」コールがほんの1週間ほどのうちに次々と起きたのだ。もう観念するしかない。私は呼ばれている。行かなくては。



そこは、何もないところだった。いつも風がびゅうびゅう吹いていて、天気が一日に何回も変わった。少し足を伸ばすと美しい遠浅の海岸があり、ゆるい丘陵地帯にはケルトの遺跡が点在していた。そんな町で毎朝ウミネコの鳴く声と馬車の行くぽくぽくという音で目覚め、夜は近所のパブに行き若いクラスメイトたちとエールを飲み、しょうもない話をする。地元民しか行かないようなパブでは閉店時間になると古いゲール語の国歌が流れ、酔っ払いのおっさんたちが立ち上がり、歌う。
時間がゆっくり流れている。日本ではいつも張り詰めていた「気」がほどけていく。


渦巻き紋様は「永遠」を表しているそうだ。
ダブリンのトリニティカレッジの図書館に保管されている「ケルズの書」を見ると、その過剰なまでの絢爛豪華な装飾美に圧倒される。抽象化された人物や動物・植物・魚・水などの自然が、同心円・渦巻き・螺旋や編目文様の間に顔を出し、その周りをつる草のような曲線がうねりながら伸び、絡み合い、また渦を巻いていく。
そこにはキリスト教の写本でありながら、彼らの太古から信仰していたドルイド教の影響が色濃く現れている。


キリスト教の宣教師聖パトリックはケルト人に布教する際、キリスト教の教義三位一体をドルイド教の教義に併せ融合させる形で説いた。それは古代の日本に於いて仏教を広めていく際、八百万の神を信仰する大和民族に対し、その神々と仏教の神々を重ね合わせ習合させることで受け入れさせていったのと同じである。
だから今も人々の意識の奥の方には古代の記憶が損なわれずに残っている。万物は巡り、魂は永遠である。それは時に人に宿り、時に樹に宿り、石に宿り、時折私たちに語りかけてくる。


同じ太陽を拝み、同じ月を愛で、自然の奏でる音楽に耳を傾け、光に共鳴し、世界の東と西の端、遠く離れた場所で、二つの民族は同じ波長を持つ何かを感じていた。そして大和民族は五十鈴の上にそれを描いた。
しかし、なぜ吉野という地はそんな風に遠い異国の文化と響きあったのか。
南方熊楠はこれを「吉野は”萃点”なのだ」という言い方をした。萃点とはさまざまな因果系列、必然と偶然の交わりが一番多く通過する地点のことで、そこでは距離を時間を超えていくつもの潮流が出会い、今も相互に影響し合っている。


現代のケルト、そして大和民族の末裔たちはその血を継ぐ者もあるが、新しく大きな別の潮流=キリスト教的価値観(と言うのが語弊があるとしたら「アメリカ的価値観」)に呑まれてしまった者も多いのではなかろうか。その中、ケルトの復興運動の傍らで、今剛っさんが「古代の感性を取り戻そう」と草の根運動を始めた。今も萃点ではいろんなものがシンクロし続けている。
私の友人のアイリッシュは、私が「ここには妖精が今もいるの?」と聞くと「あんた気は確かか?」と言った。近年日本では、「小さいおっさん」を見る人など増えているようだが、多分それは日本にとって吉兆だろう。(笑)


この夏、私は天河神社に「呼ばれ」なかった。行った方のブログを読み「五十鈴って三千円もすんのかー」と思ったのがいけなかったのかもしれない。でも来年は是非そのアイルランドで知り合ったウチのツレアイを連れて行きたいと思っている。
ツレアイの名前、意味を英訳すると「Strength=強さ=剛」。三つ組みの渦巻き紋様はウチの「剛」に繋がり、そして私は五十鈴に繋がる堂本剛と今出会った。
縁が一巡りし、西と東の端っこがまた出会った。


ちなみに、ツレアイが同じ語学学校に入学して来たのは、私が入学して丁度6ヶ月後だった。それが果たしてEさんの言った「いいこと」だったのかは、人生終わってみないとわからない。(笑)